合唱が好きだったこと

 吃音者の中には、ふつうに話すときは言葉がでないのに、歌などのリズムがある言葉ならすらすら出てくるという人がいます。私もそのひとりです。
 例えば、国語の授業で作文を発表するときは一行読むのに一分かかるけど、音楽の授業でひとりで前に立って歌うときはみんなと同じように歌えます(それでも単純に緊張はしますが)。

 だからわたしは歌が好きです。自分の感情を表現できる数少ない方法です。(こうやって文を書くのもそのひとつなので好きです。)歌っているときは、素の自分がさらけ出せるような気がしてます。


 少し昔の話をします。
 歌を好きになったきっかけは、小学校の合唱でした。音楽担当の先生が、すごい熱心に教えてくれました。小学校の合唱というと、元気なイメージが多いと思いますが、その先生に教えられてからきれいな合唱になりました。その先生は歌を愛してました。(比喩とかじゃなくてほんとうに愛してるかんじだった。)その先生はよく、「〈うたう〉の語源は〈うったえる〉なの。心に訴えかけてこそ歌なのよ。」と言ってました。今でも頭の中で先生が目を見つめながらそう言ってきます。そんな先生の熱意に影響されて、わたしも歌が好きになりました(歌を愛してるかって言われると正直わかんない笑)。
 そんな先生のもとで私はソプラノをやってました。アルトに行く友達も多かったけれど、ソプラノに残り続けました。普段は絶対にでないような、お腹から何かが込み上げてきて、喉を通ってそれが高音になって校舎や体育館の端まで響くかんじはソプラノにしかなく、それが大好きでした。今でもその感覚は残ってます。なかでも大好きでよく響く曲が、Let's search for tomorrow という曲です。youtubeから拾ってきたものですがよかったら聞いてみてください。


 だけど、中学でちょっと歌を楽しめない時期がありました。声変わりです。だんだん高音が出にくくなっていくのもショックでしたが、一番ショックだったのは男子というだけでテノールかバスに入れられたことでした。高音が出にくくなったとはいえ低めの女子くらい出てたし、テノールにしては声が高すぎたので合唱の中で浮いていました。歌が唯一声が出せる場所だったのに、そこでも出せなくなりました。だいぶ経ってくると、ようやくテノールくらいの音がでるようになりましたが、それでもあまり楽しめませんでした。ソプラノの響きが好きだったので、盛り上がりもない裏方なテノールはすごく退屈でした。(テノールやバスがあってこそソプラノが際立つことに気づけてからは少し頑張るようになったけど。)

 高校に上がってからは、音楽か美術か書道の選択科目になりました。もちろん音楽を選んだんですが、そのなかで音楽を選択したひとたちなので、みんな歌が好きだったり楽器の経験があったりして音楽の授業がとてもたのしかったです。授業の中で、小グループにわかれてミニバンドを作ろうってのがあって。私はキーボードを担当したんですが、そのとき少し小学校の合唱で感じたような楽しさがあって。なんでかよくわかなかったけど、歌が好きってより音楽が好きだったのかなって思いました。

 それから少しずつピアノの練習をしてるんですが、なかなかうまくならないです笑。いつか上手くなったらまたバンドとかやってみたいな、って思ってます。
 それに、高音を取り戻す練習も少しやってます。ネットで調べたものなのであまり信じてないけど、戻ったらいいな~くらいでやってます。

 ただ残念なのは、たぶんもう合唱をする機会はないんだろうなってことです。音楽の授業は一年生しかないし、文化祭シーズンだけ結成されてたらしい合唱団もコロナが始まってからなくなったらしく、私は入学してから一度も見たことないです。

 カラオケとかで歌うのも好きだし楽しいけれど、やっぱり合唱にしかない、ソプラノにしかないあの楽しさが忘れられないです。