
待ってくれない就活、分からない自分自身
こんばんは。
現在、就活真っ只中ということで、この夏はES提出、インターン参加、テスト対策などに追われていました。そして、ふと立ち止まると自分が何を目指しているのか分からなくなっていました。
見つからない自分軸
私は、両親が公務員であったことから漠然と公務員を目指し始めました。9月と3月に試験があり、かなり厳しい試験であることは聞いていたので、とにかく急いで予備校に入り、勉強を始めました。当初は、公務員になりたいという理由は人を納得させられるほど明確というわけではなく、後付けでいいだろうと思っていました。
ところが、いざ夏を終えてみて公務員になりたい理由が見つかったかというと、全く分からないのです。
自己目的化するインターン
夏のインターンのためにESを何枚も書き、何時間も費やしてきました。はじめの方はなかなか選考が通らず、悔しい思いを何度もしました。その後、先輩に添削していただいたり、表現にひと工夫したりすることで選考の通過率が上がるようになり、少し浮かれていました。
ところが、今振り返ってみると、インターンに通過することが自己目的化していて、自分に向き合うという、最も苦しい工程の一つをずっと避けてきていたことに気づいたのです。
親からの期待
公務員予備校に入るにあたり、多額の入塾料を親に請求しました。
大きな選択のない世界なら・・
ふと考えてしまいます。農民に生まれたら、農民として生涯を終える、商人の子として生まれたら、商人になる、そんな子供に選択肢がない世界に戻ったらどうなんだろうかと。
時代が進み、個人の選択肢が格段に増えました。今後も、選択肢が広がることで人生の色どりが豊かになる人が増えるでしょうし、人々の人生設計も多彩になることは言うまでもありません。
ですが、私はその選択肢の多さと、優柔不断な性格の板挟みに遭いどうすることもできないのです。
以前、先生に言われたことがありました。興味のある事柄が多く、論文のテーマがなかなか決まらないと相談したところ、「あなたは、本当にテーマを決めようとしているんですか?優柔不断を言い訳に選択する作業を避けているように見えますけど?」
非常に本質を突かれた気がしました。
現在を生きる人は、この膨大な選択肢を自身の判断基準でもって削除したり追加したりする、その処理速度と精度が求められている気がします。
言うは易く行うは難しってやつですね。トホホ
中途半端で恐縮ですが、今日はここで。