王妃とはだれのことか?
西暦前539年、ペルシャ帝国はバビロニア帝国を滅ぼしたキュロス大王から始まる。
幾人かの王の後、
ダレイオス1世
クセルクセス
アルタクセルクセス
と三代に渡って帝国の最大の領土を治めた。
そして、これが問題の1文である。
“すると,王はわたしにこう言ったが,そのとき王妃もその傍らに座っていた。”-ネヘミヤ記2:6
ペルシャ帝国の全盛期。アルタクセルクセス王の統治の20年、第1の月にネヘミヤは王都スサのシュシャン城で王の献酌人として王にぶどう酒を注いでいた。ネヘミヤはユダヤ人であり、故国のエルサレムが荒れ廃れたままになっているニュースを知り、憂えていた。ネヘミヤはその元気のない様子を王に指摘されてしまう。ネヘミヤは王に事情を話し、自分をエルサレムに派遣して復興に着手できるよう懇願した。
そのことに対する王の返答が語られる前に、そこに王妃がいたことを挿入している文である。
読者に情景を思い描いて欲しいなら、王との会話が始まる前に記すのが自然である。しかし、この会話の途中のタイミングで王妃に言及したのはなぜか。考えられるのは王妃の存在がこの時の王の返答に影響を及ぼしていたことを表しているように思われる。では、この王妃とはだれのことだろうか?
ネヘミヤ記のすぐ後にはエステル記が続く。
ペルシャ帝国のアハシュエロスという王の統治の第3年、ワシテという王妃が傲慢に振る舞い、王妃の座から退けられると新しい王妃を選ぶべく、帝国中から美女が集められ磨かれる。その中にユダヤ人女性のエステルがいた。エステルはワシテと対照的に慎み深い女性で王に大変気に入られ王の統治の第7年に王妃として迎えられる。
その後、王はハマンという人物を首相に据えた。ハマンはユダヤ人のモルデカイを憎んでおり、アハシュエロス王の統治12年にユダヤ人を民族ごと根絶やしにする計画を立てる。王妃エステルはそれを阻止することに成功する。モルデカイは以前に王の暗殺を阻止した功績を持っていた。そして、ハマンの代わりにモルデカイが首相の座に着くことになる。
このアハシュエロス王は現代では考古学上ではダレイオス1世の子クセルクセスではないかと考えられている。
しかし、西暦1世紀前後に作られたセプトゥアギンタ訳によるとエステル記のアハシュエロスはアルタクセルクセスと訳されている。
それで、アハシュエロスはクセルクセスではなくアルタクセルクセスであったのではないかと推定される。
アルタクセルクセスの王妃がユダヤ人の王妃エステルでネヘミヤの嘆願を後押ししたのではないか。こう考えるなら、ネヘミヤ記中のの後にも先にもない謎の“王妃”についての言及に明快な答えがでる。
エステル記はネヘミヤが書いたのかもしれない。エステルやモルデカイについての情報を王宮で仕えていたネヘミヤなら精通することができたはずだ。エステル記には王がぶどう酒に酔っていたり、ぶどう酒の質に言及する箇所が見られることから献酌人であったネヘミヤが書くにふさわしい内容もある。
ネヘミヤ記にはネヘミヤが自腹を切ってエルサレムの城壁の再建を支えたことや、奉献式の際も民の先頭を行くのではなく後について行くというとても慎み深いことを示している。エステルの慎み深さから学んだネヘミヤの認識が垣間見える。“ジェントルマン”であれ、“やまとなでしこ”であれ、男女関係なく、慎み深いという性質は人を魅了する。
「同じように,若い皆さん,年長の人たちに従ってください。そして皆が,人と接する上で謙遜さを身に着けてください。神は傲慢な人に敵対し,謙遜な人に惜しみない親切を示してくださるからです。神の力強い手の下で謙遜になってください。そうすれば,神はやがて皆さんを重んじてくださいます。」-ペテロ第一5:5,6
余談
クセルクセスは父のダレイオス1世と10年ほど共同統治を行っており、その統治は20年ほどであった。その最期は暗殺で終わる。アルタクセルクセスは50年ほどの統治を行っている。暗殺を阻止し慎重に行動して神の祝福を受けたモルデカイが統治の12年頃から首相となったのはアルタクセルクセスの治世ではないかと考えられるかもしれない。