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限りある時間

 小学4年の息子が、学校で習った「いのちの歌」を歌いながら、「ママ、いのちってなんだと思う? いのちってなに? 」と聞いてきた。「いのち? いのちっていうのはー・・・」納得できる答えを言えるつもりの頭に反して、口からは言葉が続かない。
 そんなわたしに気づいてか「あのね、いのちっていうのは、限りのある時間のことだよ」と助け舟を出すように息子が言った。「世界中の人に与えられた、動物にも虫にもだよ、神様が与えてくれた限りのある時間のこと」。
 息子よ…、その通りだ。聞かれて言葉に窮したけれど、息子の答えにまた言葉が出ない。
 「そうだ、その通り、本当にそうだよ」
 不意打ちのように胸を打たれて、うまい返事も出来なかった。
 学校で習ったのだろうか。にしても深い真理のようで、なんだか胸にしみた。
 わかっているつもりでわかっていないことって、まだどれだけあるのだろう。いのちの大切さや戦争はいけない、なんてことは何百回も聞いて知っているつもりなのに、じゃあいのちってなに?という単純な質問が難しい。
 いつも宿題をやらないとか帰る時間を守らないとかで、このところ怒ってばかりの息子だが、ちょいちょいこういうことを言うのだから、たまらない。
 週末、家族で歩いているときに「雲に乗ってみたい」とその息子が言った。乗ってみたいねえ、と返すと、「でも落ちちゃうんだよ。だって水蒸気の塊だもん」と言う。もうそんな現実的なことを言うようになったか、としみじみしていると「じゃあ雨ってどうして降るか知ってる?」と聞いてきた。わたしが答えるより先に、横を歩く5歳の娘が言った。
 「太陽が泣いてるから?」
 夫と目が合い、お互い顔が緩んだ。
 限りある時間のなかできらりと輝く宝物のような瞬間がある。いのちを大切にしなくちゃいけない理由は、いつだって目の前にある。

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