失う「痛み」をはじめて知った
「もっと一緒にいたい」「花嫁姿を見てほしい」「いつかひ孫を抱いてほしい」。そう願っていたけど、わたしの願いは叶わなかった。
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実家の母からの突然の呼び出しに急いで帰省して、祖母の病室で書き上げたnote。公開するかどうか迷っていた矢先に、大好きなおばあちゃんは天国へ行ってしまった。
朝一番の便に飛び乗って帰った。祖母が旅立つ前にギリギリ間に合った。でも、意識が混濁してきていた祖母とは、ちゃんと最後に会話できなかった。
身体に爆弾を抱えていることは知っていた。それが徐々に祖母の身体を侵食してきていることも知っていた。
でも、「あと3カ月くらいかも」、そう主治医に言われたと年始に泣きながら電話をしてきた母と話したときも、なんだか実感が湧かなかった。だって、入院する直前も入院したあとも「元気になってまた美味しくごはんを食べるんだ」と祖母自身がとっても張り切っていたから。
何も食べれなくなってしまったときから一時は回復して、少しずつごはんを食べられるようになってきていた。一時帰宅もできたらいいねとも話していた。でも、病魔はそこまでやさしくなかった。
急変したその日に、祖母からの不在着信があった。わたしはそのときちょうど仕事中で、どうしても出られなかった。あのとき電話を取れていたら、すぐに気づけたら。祖母はわたしに何か伝えようとしてくれていたのかも。そう思ったら涙が溢れて止まらない。後悔がしこりとなって胸に重くのしかかってくる。
最期まで触覚と聴覚は冴えているから、たくさん触って、声をかけてあげて。そう看護師さんに言われて「おばあちゃん、来たよ」とたくさん声をかけた、ずっと手を握っていた。わたしの声は届いていたのだろうか、わたしが駆けつけたことに気づいてくれただろうか。
図らずも祖母の命日となってしまった日に書き上げたnoteは、まだどうしても開けない。そして、きっと公開することもない。でもこのままでいいのだと思う。祖母への思いはここにも、手元に置いている手帳にもたくさん綴った。生まれたときから25年間、ずっとそばで大切に思ってくれたこと、第二の母親として無限の愛情を注いでくれたことへの感謝の気持ちが、天国へ旅立った祖母に伝わっていることを願って。ずっと見守っていてね。わたし、この手でしあわせを掴むよ。