夢という名の本音と向き合うこと〜世界一周コンテスト「DREAM」を終えて〜
世界一周コンテスト「DREAM」への挑戦が一区切りついた。
人生で初めて参加したコンテストだった。
自分の夢を多くの人の前で語る機会をもらったからこそ感じたことがたくさんある。
セミファイナルが終わった高揚感を残しつつ、ひと呼吸ついた今。忘れないうちにこの奇妙な経験と、奇妙な心境をそのまま記録に残しておきたいと思う。
世界一周コンテスト「DREAM」とは
そもそも「なんじゃそれ?」って方も多いと思うので、簡単に触れておく。
旅への一歩を広める「株式会社TABIPPO」の学生支部が運営しているコンテストの名前を「DREAM」という。
世界一周して叶えたい夢を語り、人の心を動かすことができたら優勝。そして「世界一周航空券」がもらえるコンテストだ。
どうやら世界中の航空会社が連携して販売している「世界一周航空券」というチケットが本当にあるらしい。なんとも夢に溢れた名前だ。
コンテストの審査は以下の順で進んだ。
●1次審査:書類審査で夢のテーマについて語る
●2次審査:グループディスカッションで互いの夢を深ぼる
●3次審査:5分のプレゼン審査をその場で準備して語る
●セミファイナル:リールのいいね数 & 7分のプレゼン審査
●ファイナル:1700人規模の舞台で夢をプレゼン。参加者からの表で優勝者が決まる
特に審査序盤は、なんとも就活を思い起こさせる審査だった。笑
そんなことはさておき、私はなんとセミファイナリスト8人にまで残ることができた。応募者数は公表はされていないが、400人近くだと聞いている。(盛ってたらごめん)
このnoteを書くつい最近までは、みんなにリールのいいねをお願いしたり、プレゼン審査に向けた準備でいっぱいいっぱいになっていた。
そんな祭り騒ぎのように忙しかった2週間が終わった。
2024年2月4日のセミファイナルのステージで敗退したのだ。
そんな今の心境と、それでも伝えたかった自分の夢についてここに書き残しておく。
えみぞうの夢「人生のロールモデルに出会う旅」とは
ふわふわと「やれたらいいな」と思っていた夢を、ここまで言語化して人に伝える機会があったのは本当によかった。
夢の内容については、noteの後半で書いてもよかったのだけど、自分の手が勝手に、自分の夢を先に書きたがっているので、このまま書き進めてみる。(いやいや主張強すぎだろ)
「人生のロールモデルに出会う旅」
これは薬学部を休学して日本国内で旅をしていた私が、実際にやっていた旅のスタイルそのものだ。
私はずっと「薬学部に通ってます」と自己紹介するたびに「じゃぁ薬剤師になりたいんだね」と道をパッと決められてしまうことに違和感があった。だって、私にはもっと他にもアイデンティティがあるのに。本当に薬剤師しか道がないのかな?って。
とはいえ「じゃぁ何がやりたいの?」と聞かれても言葉に詰まった。やりたいことが分からない自分に不安と焦りを感じていた。そんな自分に嫌気がさしていた。
今となっては夢を語るコンテストに出場している立場だが、元々は人前に立って語れる夢なんて何もなかったのだ。
自己紹介することが嫌で逃げていた時期もあった。「専門学校に通ってます」なんて言って薬学部であることを隠していた。
そんな中、旅人と偶然出会い「えみぞう!旅はおもしろいぞう!」と教えてもらった。薬学部の専門性から一度離れたくて、私は、大学4年の夏。人生最後の夏休みを使って旅に出た。
初めての一人旅は、静岡県伊豆下田にあるゲストハウス(?)に泊まった。
すると、薬剤師以外の人生のロールモデルにたくさん出会うことができた。
下田に移住した人や、下田が好きで起業した人、新卒フリーランス、ワーケーション中のプログラマー、宿を運営している方、就活が終わったばかりの大学生、下田に長く住むみんなのお父さん、めちゃめちゃ日本飛び回ってる人。
今までにない高揚感があった。
大学で広まっていた「社会人になりたくない」「社会人つまらない」という雰囲気にうんざりしていた。一方で、伊豆下田のゲストハウスには「社会人おもしろいよ」とイキイキと自己紹介するかっこいい大人がたくさんいた。
やっと掴んだこの高揚感を逃したくなくて、ガムシャラに旅を続けた。そして薬学部を1年休学することを決意した。
当時のもっと繊細な変化は、以下のnoteにまとめているのでぼちぼち割愛しようかな。
旅に出て、多様なライフスタイルを実現している社会人と出会って、人生がガラッと変わった。
人生もっと寄り道したって、いいんだ。
そう心から思えたことで、肩の荷をスッと下ろすことができた。
私は、休学する勇気と好奇心、旅に出る時間があったからこそ、たくさんの人と出会うことができた。しかし、全員にできることではない。
だからこそ今度は私が、自分と同じ悩みを抱えている人に向けて「こんな人生のロールモデルもいるから、もっと肩の力を抜こうよ」と発信し続けたいのだ。
これが愚直に自分と向き合い続けたえみぞうだからこそ、できることだと思う。
世界中には、まだまだ私の知らない働き方や多様なライフスタイルが待っている。まだ見ぬ世界で、まだ知らない価値観を持つ、まだ会ったことのないロールモデル達にたくさん出会いたい!!
そして「人生このままでいいのかな」って悩んでる友達を一人でも多く救いたい。
これが私の夢だ。
濃すぎたセミファイナル期間
自分の夢について書いたら、やはり止まらなくなってしまった。ぼちぼち、コンテストの話に戻ろうと思う。
そんなこんなで夢を語り続けていたら、セミファイナルまで残ることができた。
セミファイナルにいたるまで、夢を語る人にたくさん出会った。まだ見ぬ世界にワクワクしている人ばかりで、出会いに感謝したい人ばかりだった。
その中でも、やはりセミファイナリスト8人で切磋琢磨した時間が一番、圧倒的に濃い時間だった。
リール審査 : こだわり抜いた1週間
2024年1月23日21:00のこと。セミファイナリスト8人それぞれが自分の夢について語ったリール動画がInstagramに公開された。
このリール動画へのいいね数が審査対象だった。期限は1週間。1月30日21:00までになんとか、いいね数を獲得する必要があった。
友達が多い自信はあったので、正直、余裕だと思っていた。
しかし、公開されてから数時間後には、すでに圧倒的な差がつけられてしまっていた。フォロワーの少ないはずの人がぶっちぎりの1位。他の子からもすでに200以上の差をつけられている。初日の夜の時点で、すでに差が開き始めていた。
途端に焦った。
え、え、え、みんな強いやん!!!
もちろん、えみぞうも事前に告知していたし、たくさんの友人が拡散してくれた。応援のコメントもたくさん書き込んでくれていた。
充分すごいことで、充分な数字なのに、人と比べてしまった。
コンテストだからこそ人と比べてしまう。しかも「いいね数」って残酷で、まじでずっと目に見えて結果が分かる。
勇気を出して知人にDMしてみる。やった!いいね数が伸びた!そう思っても、ふと他の人のいいね数を覗くと、同じ伸び率。どんなに自分が頑張ったところで、他のセミファイナリストも当たり前のように努力しているから大差はつかない。
そんな1週間にかなり心身すり減らしてしまっていた。
どうやら、他のセミファイナリストは、リール公開時にインスタライブをしていたらしい。確かに、インスタライブをするとストーリーの左端にアイコンが出て目立つことができる。
3次審査で仲良くなった海賊侍さかじとDMして、焦っているもの同士、24日の夜、緊急インスタライブを開いた。
たしか深夜2時くらいまでインスタライブをした。茶道のふっくんも乱入して、ずっとワイワイ話しながらトークバトルを繰り広げていた。楽しかった。
でもぶっちゃけ、インスタライブをしても、いいね数に大きな影響はなかった。
インスタライブが深夜2時に終わってから、覚えている範囲で観に来てくれた人にDMして、リールの応援コメントに返事した。それからお風呂に入って、布団に入る頃には深夜5時になっていた。
睡眠時間を削ってでも頑張りたい。そんな熱意がありつつも、睡眠時間が短くなると精神状態も悪化する。
いろんな人に応援してもらっているのに、DMやコメントが追いついていないことに申し訳なさを感じていた。頑張っても縮まらない差に、ずっと追い詰められていた。
DMする時間を確保すればするだけ、いいね数が伸びることがだんだんと分かった。しかし、日々の研究活動もあるため中々時間を生み出すことができなかった。
研究に没頭した後、ふとInstagramを開く。私がケータイを放置している間に他のセミファイナリストが、路上で声かけをして「いいね」を集めていたらしい。また差が開いてしまっている。気がついたら8人中7位になっていた。
そうやって、Instagramを開くたびに一喜一憂している自分にまた疲れていった。
……と、まぁ内心しんどかったわけです。
いやー。他のセミファイナリストさん?もーちょっと手を抜いてもいいのですよ?笑
とか言いつつ、きっと頑張ってる周りを見て、1週間互いに煽りあっていた。
しかし、煽りつつもお互いにDMで「つらいよね」「一人じゃ不安だから、一緒に路上行こう」「私も寝れてない」「パオーン🐘」なんて送りあって、互いに励ましていた。
みんなで予定を合わせて、寒い中、渋谷のスクランブル交差点に立った。
まさか、渋谷で声かけする側に回る日が来るとは思わなかった。最初はかなり緊張した。だから、ジャーナリストかほと一緒に声かけした。
みんなで仲良く声かけして回って、一人でもいいねしてくれる人がいたら群がって全員いいねしてもらった。だから、これまたぶっちゃけ差はつかなかった。
だけど、他のセミファイナリストとさらに仲良くなれた日だった。
夕方から路上に立っていたため、日が暮れる頃には寒くなって、すぐ解散した。いや、私は他の予定があるからと先に抜けたのだったかな。
路上に立ってみると、確かに「いいねするだけなら…」と言って応えてくれる人は多かった。おそらく、フォローだと難易度が上がっていた。
路上に立てば立つほど、いいね数が伸びることも分かった。とはいえ、時間の確保が必要だ。しかも、路上で会った人からの「いいね」って正直あまり心地の良いものじゃなかった。
路上で稼いだ「50いいね」は、大したコミュニケーションも取らず、コンテストの内容にも、夢の内容にも共感をしないままもらった「形だけのいいね」だった。
私は、それがあまり好きじゃなかった。
いやいや、コンテストで勝つことにもっと執着するならば良い作戦だったと思う。実際に、他のセミファイナリストは800いいねを路上で稼いだとも聞いた。
だけど、私がこのコンテストに出た目的は他にあった。自分と同じ悩みを持つ人を一人でも多く救うことだった。
だからこそ、路上での時間は形式上のいいねがもらえるだけで、コンテストが終わった後の関係性には何も繋がらないと思ってやめた。
これは、あくまでも私自身のこだわりだ。路上でいいね数を稼いでいた人の努力を否定する気なんて一切ない。全くない。本当に。あの寒い中、毎日路上で声かけするなんて誰でもできることじゃない。
じゃぁ、私がこの1週間のいいね数審査期間で何をしたか。
それがまさにインタビュー型インスタライブだった。
きっかけは、焦ってインスタライブをやってみた結果、楽しかったこともある。もう少し自分の認知度を上げるためにも、コラボ型でインスタライブをしたいと思った。
ただし、自分の夢の内容となるべく絡めた形で企画したかった。
リール審査用に提出した動画は、再生回数を上げやすいようにあえて秒数を短くしていた。だからこそ語りきれていない詳細があった。
あれこれと考えた結果、自分の夢「人生のロールモデルに出会う旅」にちなんで、「ロールモデルに出会うかも?インビュー型インスタライブの旅」をはじめてみた。
世界一周中の人や、車暮らしをしている人、世界中で結婚式を挙げている人、大学を休学してドイツにワーホリしに行った人。
いろんな人に……
Q. 旅に出たきっかけはなんですか
Q. 理想のライフスタイルを実現するために、どんな工夫をしましたか
Q. 一歩踏み出せない人にひとことメッセージお願いします
なんて聞いた。SNS上でキラキラしている一見特別に見える存在も、実は元々は会社員なことが多い。意外と身近な存在であることを、視聴者に伝えることで「自分にもできるかも」なんて背中を押したかった。
あわよくば、「この人のライフスタイル憧れる!」「この人の考え方しっくりくる!」なんて思ってもらえたら本望。
まさに人生のロールモデルに出会う旅を、ただのインスタライブでも経験してもらえるかもしれないのだ。
実際に、やってみた結果、かなり反響は良かった。「車暮らしってライフスタイルもあるんだねー」と、多様な生き方の存在を知ってもらうことができた。
ちなみにインタビューした6人は全員、私の友達です。はい、これは自慢です。全員、えみぞうが休学して旅したからこそ出会えた友達です。こんな素敵な友達に囲まれてたら、そりゃ「人生のロールモデルに出会えた!」って言うに決まってますよね〜 ドヤァ〜
まだまだ紹介しきれていない素敵な友達がいる。出会った人を取材して発信することは、実は休学を決めた当初からやりたいと思っていたことだった。
今回、いいね審査という異様な機会があったからこそ、インスタライブでの発信スタイルに踏み出すことができた。
この1週間、しんどいこともあったが得たものの方が多かった。ありがとう。
2024年1月30日21:00
そんなこんなで慌しい1週間の「いいね審査」は終わった。結果、いいね数は8人中4位で終わった。2,3位とは僅差まで近づくことができた。
本当に、たくさんの方に拡散といいねをしてもらったおかげで、最終的に約1600いいねを獲得することができた。
他のセミファイナリストと比べると大したことないように感じちゃうけど、かなりすごいことだと思う。再生回数も8.6万回、コメント数257件、拡散回数181回。今までにない経験だ。
感慨深い終わり方だったが、リール審査の余韻を味わう暇は全くなかった。なぜなら2月4日にはプレゼン審査があったからだ。
プレゼン審査 : 必死に表現したあの日
セミファイナルは、「いいね数審査」と「プレゼン審査」の両方を合わせて審査される。具体的な審査基準は公開されていない。
白熱した「いいね数審査」は結局、ほとんど大差がつくことなく終わった。つまり、プレゼン審査の重要度が高まった。
もちろん怒涛のいいね審査期間から、プレゼンの準備は進めていた。とはいえ、多量のDMとインスタライブ共同者との連絡に追われて、納得いくほど進められていなかったのも本音だ。
いいね審査期間でたくさん応援してもらった分、ちゃんと結果を出したいと熱が入った。
だからリール審査が終わった1月30日から、プレゼン審査本番の2月4日まで、また睡眠時間を削れる限り削った。
伝えたいことはたくさんあるが、発表時間は7分しかない。絞って伝える必要がある。
しかも、私の選んだテーマ「人生のロールモデルに出会う旅」は、正直パッと聞いて内容をイメージできるものではない。伝わりにくいテーマではあった。他のセミファイナリストと比べると、キャッチーさもあまりない。
ダンスという自分の特技を使ってもよかったが、本題からズレてしまう。ファイナルまで残れたら、あとで検討しようと思っていた。
スライドを完成させてからも、何人かの前でプレゼンの練習をした。たくさんのアドバイスをもらって修正を重ねた。本番直前までメンターのなーひー(セミファイナリスト1人あたり、1人のメンターがつく豪華特典)と一緒にリハーサルを繰り返した。
限られた時間の中でできる限りのことはした。
2024年2月4日セミファイナル本番。観客も入り、程よい緊張感の中8人のプレゼン発表が始まった。えみぞうの発表は7番目。事前にあみだくじで決まっていた。
少なくとも発表を聞いてくれたみんなには自分の夢と想いを伝えたくて、必死に表現した。
発表後、観客や他のセミファイナリストに「感動した。よく伝わったよ。」と言ってもらえて、ひと安心した。
しかし、他の発表者も本気度が高い。かなり高い。さすがセミファイナルまで残った8人だ。みんなの発表を聞きながら圧倒された。
誰が優勝してもおかしくないレベルだった。心から応援したいと思えるプレゼンばかりだった。だから内心、あまり勝てる確信は持てなかった。だってみんなのこと応援したくなっちゃうんだもん。
いいね審査でも、プレゼン審査でも大差がつかないクオリティーの8人から、ファイナリスト4人を決めるのは大変だっただろう(だよね!?)。審査は難航して、審査の時間はかなり伸びていた。
「結果が決まったからセミファイナリスト8人は舞台裏にスタンバイしてほしい」とアナウンスが入る。
運命の結果発表の瞬間。
どんっ!
ファイナリスト4人がスライドに映し出される。そこに私の名前はなかった。
「あ、落ちたんだ」
そう分かった途端、勝手に涙が出てしまった。ステージ上にいる間はなんとか我慢したかったのに、ごめんなさい。
悔しいという感情に支配される。何よりも、たくさんの人に応援してもらってたからこそ、何倍も悔しかった。まっさきに応援してくれた人たちの顔が頭によぎった。
もし、リール審査中、本気で発信していなかったらここまでの悔しさを味わうことはなかっただろう。悔しいと言う感情と出会わせてくれるくらい、応援メッセージをくれたみんな本当に本当にありがとう。
やっぱりBackpackFESTAの舞台に立って、少しでも多くの人に自分の夢を伝えたかった。なぜなら、少しでも多くの人に伝えることで、自分と同じ悩みを持っている人を救うことができるから。
立ちたいと思える舞台を用意してくれた学生支部のみんなありがとう。
夢を口にする意味
本当にたくさんの応援メッセージをもらっていた。200件近いDM、コメント数257件、拡散回数181回。こんなに応援されることって中々ない。
だって、ここまで自分の夢という名の本音をSNSでさらけ出して「いいねで応援してください」なんて言う機会なかなかないと思う。
リール審査のおかげで、友達全員に今描いてる夢を公表するきっかけとなった。日常会話なら恥ずかしくて言えないような夢を堂々と伝えることができた。
すると、自分が思っていた以上の反応があったのだ。あまりにも嬉しかったので、個人が特定されない範囲でシェアハピしたい。
人前で夢を口にすると、こんなことが起こる。
たとえば、何年も話せていなかった古き友人からも連絡が来た。
他にも、誰かの拡散きっかけで、えみぞうの夢を知ってくれた新規フォロワーからも応援DMが来た。たとえば……
同じ薬学部の子からも何人かDMが来た。自分と同じ悩みを抱えている人も中にはいた。夢の内容に共感してくれる人がいたことがとても嬉しかった。
これまでのDREAMの審査で仲良くなった戦友からも応援してもらっていた。旅で出会った古き友人たちからも沢山支えられていた。
本当に紹介しきれないくらい、たくさん応援してもらっていた。えみぞうのリール動画のコメント欄を覗けば一目瞭然だ。
しんどかったリール審査期間ではあったが、たくさんの応援コメントを読み返して何度も救われた。たくさんのエネルギーをみんなからもらうことができた。
そして、夢を口にしたことで自分だけの夢じゃなくなった。
夢を語ることで、自分を応援してくれている人の存在に改めて気づくことができた。頑張りたいときに応援してくれる友達を、これからも大事にし続けたい。
夢を語る勇気
夢を語ることって、どこかタブー視されている。
そもそも「夢」という言葉自体どこか恥ずかしさを感じる。
出る杭打たれる
そんな言葉があるくらいに、人と違うことをするのって本当は勇気がいることだった。
応援されたというキラキラしたエピソードばかり書いたが、わたしの発信を見ていた全員が同じように応援してるとは限らない。
古き友人から「あいつなにしとんねん」と冷ややかな目で見られていたっておかしくない。発信していくうちに、知らず知らず失った友達もいるのかも分からない。
もしかしたらSNS上で夢を語るえみぞうは、キラキラした特別な存在に見えるかもしれない。しかし、かつての私は「やりたいことが分からない」ともがいていた。
それに夢を語っている今になっても、本当はこれからどうしたらいいのか分からない。
25卒の私は本当は今、就活真っ盛り。夢を語ったはいいものの、いつどこでどのように実現するか、正直まだ分からない。
応援されてたくさんのエネルギーをもらったからこそ、今すぐにでも事業化させて少しでも多くの人に「人生のロールモデルに出会う旅」という体験を届けたい。
そんな熱を持ちながらも、薬学部という忙しい日常はまだまだ続いている。3月には国試模試があり、8月に卒業試験、11月に卒論発表、来年2月に薬剤師国家試験本番だ。
夢を語るだけで、実行しきれていない自分がどこかもどかしい。
コンテスト出場者の中には、すでに学生起業してる人だっている。実現に向けて走りきれていない自分に焦りを感じることだってある。
だけど、まずは目の前にある、やるべきことをやるしかない。
薬学生活残り1年の使い方と、新卒カードの使い方をどうしようかとちょうど考えているところだ。休学するか迷っていたあの頃と同じ不安定さを、今、また抱えている。
敗退しても伝えたかったこと
私が言いたかったのは「旅をしろ」「休学しろ」なんて、そんな単純明快なことじゃない。
人生このままでいいのかな。
やりたいことが分からない。
社会人つまらない。
そうやって未来に絶望するような本音が心のどこかにあるのであれば、現状の一歩外へと踏み出すしかない。
行動しなければ、現状を変えることはできない。その行動というのが、私にとってはたまたま「休学」して「旅」することだっただけだ。
旅先には、自分の本音と向き合う勇気を持ち、自らの意思で選択を重ねた大人がたっくさんいた。
私にとってのロールモデルは彼らだ。
どんな働き方をしている人がかっこいいとか特別な決まりなんてない。別に、フリーランスや起業家という肩書きだけを特別視して、誰かに勧めたいわけでもない。そうじゃない。
自分の働き方や暮らし方に対して、自分ごとで語ることのできる人。
これこそが真のロールモデルだと思っている。
しかし、この状態に至るまでには、まずは多様な選択肢を知る必要がある。多様なライフスタイルを知った上で、選んだ道には自信が持てるから。
だから私はこれからも、多様なライフスタイルがあるということを発信し続けたい。
そして、まずは私自身が誰かのロールモデルとなれるよう、これからも愚直に自分も向き合っていく。
夢という名の本音と向き合う勇気をくれたDREAMコンテスト。そして応援してくれたみんな、心からありがとう。
えみぞう