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自己紹介 #えいみーとは

はじめに

はじめまして。えいみーです。
あだ名が欲しくなったので今日から”えいみー”と名乗ることにしました。

日々感じたことを文字に書き起こしていくことで頭の中を整理したい!
あわよくば発信力を身につけて世界を広げてやろうじゃないか!
と思ってnoteを始めました。
ゆるゆる書きつつ、いつかバズらないかなーと野心燃やしていきます。

まずは自己紹介から!
だいぶ赤裸々に書きました…

幼稚園児:自分でやるの!

何でもかんでも自分でやりたがる親泣かせな幼稚園児でした。

靴をお母さんに履かせてもらっても、「自分でやるの!」と靴を脱いで自分で履き直す。
山道でも、お母さんにおんぶしてもらった道をわざわざ引き返して自力でよじ登り始める。

なんと手間のかかる子供だったんでしょう…。
とにかく何でもかんでも自分でやりたがる生命力の強い(?)女の子でした。

親が安全な道を敷いてくれてもお構いなしに我が道をゆき、当たっては砕ける人生をこの時すでに始めてましたね笑

そんな波瀾万丈な幼稚園児えいみーを見た親は「この子は自分で壁にぶつからないと気づかない子なんだ」といろんな選択を委ねてくれるようになりました。

自分がやってみたいことはやらせてくれた親に今となっては感謝の気持ちでいっぱいです。

小学時代:なんで?

そんな当たって砕けろな人生を選んでしまった幼稚園児えいみーは、小学校で砕け散ります。

思ったことをそのまんま行動する野生児えいみーには正直乱暴さが残っており、友達が離れていきました。
また、女子あるあるの”仲良しメンツで全部を一緒に行動しなきゃいけない”文化に馴染めず孤立してました。突然始まる「○○ちゃん嫌い同盟」も嫌いで入ってなかったので余計浮いてたのかもしれない。

そうやって一匹狼になったえいみーには信頼できる本当の友達はいませんでした。

理不尽に怒る同級生や教師ばかりで学校は大っ嫌い。
家でも、お兄ちゃんは褒められて私ばかり怒られる。
もうどこにも居場所がなくて、自分が大嫌いで、毎日がつらかった。
なんのために生きてるんだろう」と考える日々。

そして小5くらいから「この人は何を考えているんだろう」「この人は何を言われたら喜ぶのだろう」などと人間観察をするようになりました。

なんで?なんのために?
こんなことばっかり考えている気持ち悪い小学生でしたね
こんなことを考えているうちに物事を俯瞰して考える力がつきました。

一つ転換点としては、お兄ちゃんの真似をしたくて入った塾だったと思います。
塾が楽しくて、勉強が楽しかったえいみーは無事中学受験に合格し、家から自転車で15分の女子校に入学します。

中高時代:○○って良いよね

仲良しメンツで行動しないといけない。人と違うことをすると叩かれる。
理不尽なことだらけで窮屈だった小学校を卒業した少女えいみーは、中高一貫女子校の自由すぎる校風よっておふざけ精神が開花します。

とにかく伸び伸びしてた!
英語ミュージカル部に入って踊りまくって、おふざけ大好きで変顔ばっかりしてました。友達とくだらないことでケタケタ笑ってたなー

そして小学生の頃から考えていた「どうやったら人に好かれるんだろう」という問いに対して「まずは自分が相手を好きになることだ」という答えを導き出し、クラスメイトの良いところを3つ以上探して陰で褒めちぎるという作戦を決行します。

○○って友達想いで良いよね
△△ってずっとふざけてて面白いよね


本当はもっと具体的に褒めてたと思います!聞いてる人が少し後退りするくらいの熱弁をしていました。
観察して褒める、観察して褒める、観察して褒める……

そうすると周りから「えいみーって良い子だよね」と認めてもらえるように!

しかも、人を褒めてる時の自分ってなんか心地よくて、「あれ、自分って良い人かもしれない」と勘違いし自然と自己肯定感が上がっていきました。
なんか文字に書き起こしてると自分の気持ち悪さがわかる笑

こうして、人と話すのが大好きなえいみーが出来上がりました。
人のいいところを見つけるのは今でも癖になってるかも。

受験期:勉強がしたくて仕方ない!

中高と部活に打ち込んでいたえいみーは驚くほど勉強をしませんでした。
絶大な熱を注いだ部活を高2の9月の文化祭で引退し、やることがなくなった10月。センター模試で奇跡の点数を取りました。

なんと全教科1割しか取れなかった。

そんな私の志望校は夢のKO義塾大学☆

当時通い始めた塾の先生は「人の3倍は頑張らないとねぇ〜」と鼻で笑いながら言い放ちました。
そこで野生児えいみーは、

ぜってーー見返してやる!

と心に誓います。

それまで勉強を全然せず、補習常習犯だったえいみーが突然、
毎日勉強しかしないガリ勉えいみーへと華麗に変身するのです。

勉強が楽しくて仕方なかった。
今思えば、勉強さえすればよかった受験期は気が楽だったし、人生で一番楽しかったかもしれない。

少しでも勉強時間を確保したいガリ勉えいみーのストイックさはこれまた奇行に走ります。

まず、ご飯食べる時間がもったいない!と思ったえいみーの晩御飯はおにぎりへと変身しました。
なぜなら、おにぎりなら左手に持って食べながら、右手で勉強できるから。あと、お腹いっぱいになると眠くなるので適量にしてました。

さらに、お風呂の時間がもったいない!と思ったえいみーは今度は湯船に浸かるのをやめました。
それまでは1時間くらいお湯に浸かっていたのをシャワーのみに変身。

変身しすぎてもはや変態です。

でも、KO大に受かりたいという目標はとても明確だったので、全然苦じゃなかった。むしろ楽しくて仕方なかった。

脅威の集中力で一日14時間の勉強を15ヶ月間続け、ギリギリ第一志望に合格し、
変態えいみーは夢のKO大へ入学します。

大学生活:好奇心は止められない

夢のKO大に入学し、たくさん勉強が出来るとワクワクしていた変態えいみーの妄想は大学1年の4月にあっけなく壊されます。
大学生活の実態とのギャップに大きなショックを受けます。

全然、勉強が面白くない。

勉強が楽しかったえいみーにとっては大きな衝撃です。
教授の話は面白くないし、サークルの先輩はおもしろい授業ではなくて楽な単位が何かしか教えてくれない。興味の湧いた授業があっても必修科目と被って選択できない。

なーんだ勉強できないんだ。
そう思ったえいみーでしたが、知的好奇心を止めることはできず、課外活動を頑張る方向へとシフトチェンジします。

これまでにいくつか活動してきたのですが、その中でも特に学びの大きかった二つに絞って書いていきます。

①ブラックバイトT進

大学受験でお世話になったT進ハイスクールで担任助手というアルバイトをしました。いや、アルバイトというより社員です。
業務の幅も広いし量も多くて、常に人手が足りずピリピリしていました。

ブラックに働いてましたねー
当時、週5でバイトして、毎回残業して、家でも資料を作って……。
朝7時からずっと業務していたら24時になっていたり……。
ご飯を食べる時間がないくらいの激務。
毎日何かに追われていて、気づいたら「疲れた」が口癖になってしまっていた私の姿を見た友達から入浴剤をもらったことも。

そんなT進での私はどんなだったか。
受験勉強に成功し自信がつきすぎたえいみーは天狗になっており、だいぶ絡みにくい人になってしまっていたのです。

勉強できない人の気持ちがわからない。

いやー、ゾッとしますね。
プライドの塊でした。正直、なんでも自分で出来ると思っていた。
しかも論破したもの勝ちだと思ってました。うわぁ嫌な奴。

でも実際は、一人じゃ何もできなかったんですね。
人を頼るのが苦手で、とんでもない量の仕事を抱えちゃって。

身体も心もパンクして辛かったけど、トゲトゲしてた天狗えいみーは怖がられ、努力も全部空回りしたまま暴走機関車のように突き進み。
このままじゃいけないと分かっているのにどうしたらいいか分からず、泣きながら帰っていました。

ここでまた人間観察を始めるのです。
仕事ができるって言われてる人は、どう動いているのだろうと。

それで分かったのは、「周りの人を巻き込むこと」でした。
自分の担当業務をひとりでせず、周りの人を頼ることで事を進めていたのです。
しかも、意外と頼られる側も嬉しいのだ、と気づきます。

一人じゃ何もできないと気づいた天狗えいみーは、その伸び切っていた鼻をポキッと折って、謙虚えいみーへと変身していきます。

そして、おねだり上手になることを決意します。
ちょっとした「ついでにお願い」も添えて。

処世術はこのT進で学んだと思う。
プライドも捨てて、だいぶまるくなったと思う。

結果的に「この1年で一番成長したのはえいみーだ」と色んな人に言ってもらえるようになり、任期の1年で卒業します。

②途上国支援

途上国支援にずっと興味があり、大学生のうちに東南アジアのラオスと、アフリカのザンビアに行きました。

小学生の頃にテレビで聞いた「世界では6秒に1人の人が飢餓で亡くなっている」という言葉がきっかけです。
今こうしてテレビを見ている間にも、何人もの人が死んでいるんだと想像したらゾッとして。

ダイエットも気にし始めていた自分にとって、飢餓で亡くなっている人が多くいるという事実を知り、「自分にも何かできないか」と使命感をずっと持っていました。

途上国にはものがないから可哀想、何かしてあげられないかな。

そんな生半可な気持ちで参加した大学主催のラオスプライマリーヘルスケア研修。
自分の考えの浅はかさに気付かされた2週間でした。

何もないと思っていたラオスにはむしろ、東京にはない価値観や文化に溢れていて、羨ましくて仕方なかった。

村でホームステイした時に目の当たりにした光景が衝撃的で。

家にドアがない。
その村の子供や大人が自由に出入りしており、ホームステイ中の私にとってどこまでが家族なのかさっぱり分からなかった。
地域コミュニティーが完成されているこの村ではそもそも、わざわざ「家族」という部類で囲む必要がなかったのだ。

ものがないのは可哀想という考えで始めた活動だったが、むしろ「ものに溢れたら幸せなのか」と考えさせられることに。

先進国のように発展すれば幸せなの?

東南アジアは近年急速に成長しており、村の人たちは民族衣装ではなく簡単なTシャツを着るようになっていた。
村の人は「ここ10年でガラッと変わった」と教えてくれた。

途上国支援の目指す先ってなんなんだろうと、余計分からなくなった。
豊かな民族文化を「便利だから」という価値観だけで先進国らしい姿に書き換えてしまうのはあまりにも浅はかな発想だったんじゃないか。

先進国や都市が忘れてしまっている、地域コミュニティーで成り立つ従来の姿を取り戻せないか。
と、今のえいみーは考えています。


大4の夏休み、今私は日本の色んな地域に足を運んでいます。
東京生まれ東京育ちだからこそ気付かされることがたくさんあります。
このことについてはまた別の記事でご紹介します。

ひとまず、えいみーの自己紹介は、

おしまい☆

えいみーのエネルギー源

ちょっとここで、まとめとして私のエネルギー源を紹介しておきます。
私にとってのエネルギー源は主にこの二つです。

①知的好奇心
②悔しさ


勉強することで知らなかった世界が観れるのが好き。
知りたい、学びたいという気持ちはいつになっても止められないです。
「当たり前だと思っていた価値観」をぶち壊された時が一番の快感です。

また、「できない、悔しい」という気持ちから何かを始めることが多いです。
だからあえて自分よりすごいと思う人たちがいる環境に身を置いて、人間観察をして周りのいいところを吸収して、「できなかったことができるようになっていく感覚」をいつも楽しんでいます。

総じて見てみるとえいみーってドMなのかもしれないですね。
えいみーの取扱説明書に書いておいてください。

最後に

最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

幼稚園の時に波瀾万丈な人生を選んだおかげで書きたいネタがありすぎて、思っていた以上に長くなりました。
しかもまだ書き足りていない笑笑
またいずれ、過去の活動内容やそこで感じたことなどいろいろ発信していこうと思います。

今後ともえいみーをよろしくお願いします。

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