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空中で走るみたいに息をした人は飛べずにまだ生きている

これは依存だ、と気付きながらも求められていると感じると抵抗できないでいる。というか、抵抗する必要が無いと思っている。
これは逃げだ、と気付きながらも適温で甘いにおいのする場所に、ずぶずぶとはまっていく。

今年の4月、BDSMの世界に本格的に足を踏み入れた。10代の頃にKari-ssu-mummyというアーティスト(写真とパフォーマンスを中心に活動していた)に出会ってから20年弱、fetishとは付かず離れずの距離を保ったままだったのに、今になって自ら距離を詰めはじめたのは、あの頃、本当は憧れていたくせに出来なかったことたちに思い残しがあって、諦めきれなかったからだ。

20代半ばまでの10年間は、ステージの裏でパフォーマーやモデル達をサポートし見続けてきた。いつだって、自分はステージに立てるような人間ではないと思っていたし、今だって表舞台に立てるほどの人間ではないと思っている。ただ、だんだん何に対して遠慮をしているのか解らなくなった。
見えない何かを気にして、関係のない人の視線を気にして、〈本当はやりたいこと〉を我慢をしなくてはならないのだろうか?誰もわたしのことなど気にしていないし、ただの自意識過剰ではないか?と思うようになった。

まあ、今回の活動についても、家族にだけは言えない内容ではあるが。ちなみに母は性的な事柄については嫌悪感が強い方だと思う。精神的なことについても(教科書的な意味で)理解はしているが嫌悪感がないというと、それは嘘だと思う。
私が双極性障害と診断されたことも、パンセクシャルだということも、解ってはいるようだけど、信じたくはなさそうだ。それならば、嫌悪感がある内容を、わざわざ伝える必要はないと思う。

ほんとうの自分なんて知らないし、これがほんとうの自分だとか言うつもりもないけれど、定期的に縛られて吊るされている今の方が楽しく生きられているのは確かだ。

2017.7.9.喜多日曜道場にて
at STUDIO GLAMDY SHIBARI
緊縛・喜多征一様
撮影・ナロ様
モデル・黄華
http://smluxury.jp