![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155587364/rectangle_large_type_2_a1e6f2f88bf57d3d8e0f605d65065e5a.jpeg?width=1200)
「頑張る」の上限
昔はひたすらに頑張ってたし、頑張ることが好きだったし、
なにより、頑張ったことによって得られるものがあることが嬉しかった。
今は、頑張ることに臆病になったし、頑張りどころがわからないし、
頑張ることで失うものも多くなった。
得ることがないわけじゃない。
たぶん。
それでも、頑張ります、て言ったからには有言実行しなければと思うし、
頑張ってない自分をふかんして見ると、ダメ人間がココにいる。
と思う。
しかし、「頑張る」ってどこまでが「頑張る」なのかわからない。
自分が思うに、「頑張る」は人それぞれに限界があり、
誰かと比べて「頑張っている」と言うのは違うのではないかと思うのだ。
比べるのは勿論のことだが、日本中の、同年齢の、同性のとかで
ひとまとめにして、
「ここ」までできたら「頑張ってる」ことになること。は、
きっとない。
ないと、思いたい。
以前、精神障碍者向けのデイケアセンターに通っていた時に、
仲良くなったスタッフさんに言われて心が軽くなったことがある。
「Amyさんはいつも頑張ってるから、頑張らなくてもだいじょうぶだよ」
私が過呼吸になった時のことだった。
私は知らず知らずに「頑張って」いたらしい。
それを、そのスタッフさんは見てわかっていてくれたらしい。
それだけでも嬉しかったのに、
「頑張らなくてもだいじょうぶだよ」
て。
もう、逢うこともないだろうけれど。
その言葉にどれだけ救われたか。
おかげで、いまは過呼吸にはなっていない。
精神障害は、まだまだだけれど。
もしかしたらその時よりも、いまは体調が悪いかもしれない。
けれど、それでも救われたのだ。
私はその人のことを、その人が言ってくれたことを、
一生忘れない。
きっと、自分の「頑張る」の上限は、簡単にわかるのではないかと
最近思い始めた。
それは、例えばイラストを描いている時に目がかすんできた。
とか。
あとは、頭痛や足の指先が痛んできた(自分の症状の出方が、体の痛みなので)とか。
もっと簡単にすると、のどが渇いたなと思ったときとか。
それだけ集中してきて、集中が途切れた時に、ふと気づくとき。
そんな時に、休憩、もしくは延期する。
そんな感じで、ゆるく「頑張る」ことで、いいんじゃないかと思う。
それが、自分なりの「頑張っている」”いま”です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
また別の記事にてお会いできると嬉しいです。