【駐妻】私の社交性が失われた理由

私はどちらかというと社交的な性格だったと思う。
転勤族の家庭で育ったので、新しい環境に入り馴染んでいくことへの抵抗はあまりなかった。
自分の方から声をかけ、周りと打ち解けるのにあまり時間がかからなかった。
人と知り合うことが楽しかったし、人と会って過ごすことにストレスや疲れを感じることもなかった。

ところが、アメリカに来て、私の社交的な性格はどこかへ消えてしまったように思う。

英語ができない。

それが大きな理由でもあるのだが、さらに私を変化させたのは、

アメリカで出会う人の多様性

だ。

私は元々、人とコミュニケーションをとるときに「空気を読む」ことをする癖があった。意識的にでも、無意識的にでも、「相手がどのような返答を求めているか」「相手がどのような反応を求めているか」ということを考えるのだ。それが、円滑な人間関係を築く大事な基盤となっていた。
決して、無理をして相手に合わせていたのではない。
「自分」の思いとか考えとか、あまり強く「自分」を持っていなかっただけだ。
だから、相手に合わせることは容易だった。

この、「相手が求めている返答や反応を探る」ということが、アメリカでは余計に難しい。
英語力の問題もあるし、ここで出会う人は、日本で出会う人以上に多様な人種・バックグラウンドを持つ。従って、考え方や感じ方も様々だ。
だから、相手の求めるものを推測するのが簡単ではない。
相手に合わせて平和的に会話を流そうと思っても、「正解」がみえない。

会話中は、「何と返事すればいいのだろう?」「どんな反応をするのがいいのだろう?」と頭の中はフル回転で…結果、会話の後はものすごく疲れている。
そして、果たして自分の言動が「正解」だったのだろうか、と不安になってまた気持ちが重くなる。

「自分」をしっかり持っていないとダメだ。

そう感じる。

でも、長い間人に合わせてきた自分が、急にたくましく自分を強く主張できるわけがない。

だから、今、人と会うことに消極的になってしまう。
疲れないように、悩まないように。

きっと、遅かれ早かれ、日本に居たとしても、このように社交性を失って自分がわからなくなる時はきただろう。

人と関わらなくなったのは、英語力のせいだと思っていたけれど、それだけではないようだ。

アメリカでも日本でも、人と関わっていく中で、「自分」を意識して大切にすることは避けられないのかもしれない。

相手にとっての「正解」ではなく、自分が思うことを感じることを自由に表現できるようにする。これが、これから私が社交性をとり戻すために必要なことだ。

英語力をいくら努力して伸ばしても、この部分が不足していたら、人と積極的に関わろうとしない態度は変わらないままだろう。


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