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今の世の中みんなが裁判官。

最近、みんなが裁判官なんだなと思うことが増えました。

一昔前まではそもそも情報がすぐには入らなかったことも、今ではすぐにネットで拡散される。

SNSの普及でみんなが(時に匿名で)意見を好きに言える環境ができたことも1つの理由だと思います。

今のこの状況の中で余計にそれが垣間見えて、

みんなそれぞれの、「〜べき」「〜すべきじゃない」の基準で物を言ってるなと感じることが増えました。

エッセンシャル?エッセンシャルじゃない?

例えば今住んでいる国はつい先日までロックダウンに伴って必要不可欠なビジネス以外は休業を余儀なくされていたわけですが、

最初は必要最低限というその基準がわかりにくく、

ちょっとした混乱もあり、

ネット上でもそれぞれ自分が思う基準で「パン屋はエッセンシャルだ!」「いや違う!」「肉屋はエッセンシャルだ!」「スーパーで買えるじゃん。」「八百屋は、、、」「あそこはやるべきじゃない!」

と、言うのが繰り広げられていました。

最終的に細かく指示が出たので落ち着きましたが、その混乱の最中では、メディアが「あそこはやるらしい」と取り上げられるたびに裁判官たちに叩かれたお店もあったのは確かです。

たとえ自分に関係なくても。

上の話は回り回って国の感染症対策に影響が出るかも、ひいては自分にも関係があるかもという見方もできるけれど、

全く関係ない人の行動を見聞きして、許せない!と怒りがわいてしまう、ネットで断罪してしまう人も今は多いです。

〜したらしい。〜って聞いたよ。の真実のわからないことでもひどい言葉で責めたててしまったり。

よく考えたら一切自分にも自分の周りにも何の不利益もないことがほとんどです。 

正義中毒というらしい 

私は最近それにモヤモヤしていて、でもいい言葉がなくて裁判官と呼んでいたのですが、

正義中毒という言葉を知りました。

人は自分の「べき!」「べきじゃない!」を通して人を責める言葉を発しているとき、一時的にすごいドーパミンが出て、快感を得られるそうです。

気持ちいいのは「言ったった!」の一瞬ですが、常に標的を求めている人、と言うのももはや中毒ということでしょう。

どうでもいい、と思えることも長所だと思う

みんなが見張り合って判決をくだし合ってると思うと、

多少ヒトの行動に対して無関心でいられるのも、1つの長所だなと思うようになりました。

特にこの情報ばっかりが入ってくる世の中はそれだけども無意識のうちに疲れるので、気持ちをある程度フラットに保てるように、自分の中の「べき」ルールを緩めていきたいなと思います。

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