いのち の 奏でる 交響曲
どこかの誰かが
言っていた。
「時計の機能自体、基盤の
核になる部分は
同じでなければいけない。
その核に格差、差別があるのは違う。
プレミアムな対価を払いたい人に
ベルトや装飾品部分
コアじゃない付属部分に
付加価値をつける。
同じように
なにかに例えるなら、
医療 核となる診察において
お金を払う あなたには
ここまでするけど
お金のない あなたには
ここまでね。
という核の部分に
格差があるのは差別だ 。
診察までの待ち時間をVIPルームで過ごし
そのシステムや
場所に対しての
付加価値の対価設定。
だけど
診察の部分は おんなじ。
自分は そういう在り方が
好きだから
そこへ行き プレミアムを払うんだ。
診察の中心内容に
差別、格差があったら
そこへは 行かないよ。」
わたしは
天へお隠れになった妹が
おしえてくれたことや
その体験、學びから
救急的なこと以外
病院へ行かない生き方を
心がけていますが
この ハナシ を聴いたとき
わたしの なかの
なにか が 共鳴し 震えました。
この差別や格差は
いまフツーの社会。
いま私たちの
生きている社会。
問題視されている
子どもの教育格差でも
日常茶飯。
たくさん
お金を払う人には
高い教育を してあげる
たくさんお金を
払わない人には
高い教育は してあげない
っていう
私たちの住んでる社会は
とてもケチな 世界。
(違う視点から観た時には
救われているとも云える)
たましい の
熱量 は いずこへ。
そこに
たましい の喜び と熱量は
あるんだろうか❓
たくさんの
お金を
いただいても
いただかなくても
たくさんじゃない
お金を
いただいても
いただかなくても
そこに互いの
たましい の熱量を
感じたなら
目の まえに いる人や
ものごと に
誠実さの 欠片を もって
たいせつに
ていねい に
向き合って
育んでいく世界 が
わたしは 好きだ。
いのち と たましい の
響き愛う
組曲を かなで
交響曲を
奏でて いくのが 好き。
むかし
むかし
深い愛 を 持つ お坊さま は
相手の
高貴な身分や
低い身分 の
目に見える部分ではなく
うつくしい 魂 を視て
おなじ教えを
寺子屋でも
説いていたのだろう。
むかし
むかし
師匠が
縁のある弟子に
おなじ ように
それを視て
口伝していたのだろう。
描く 先 の 未来を
ココロ に みていた
美しい 旋律
ハモニーを奏でる
いのち の 交響曲。
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