察する文化
察するって
どういうことでしょう❓
察するという概念は
察する 前提に
存在している
集団意識 が あるということ。
それは 知らないうちに
無意識 へ と
刷り込まれているもの。
なんとなく
共通して もっている
思考、思い込み、
固定概念
ものさし 枠が 先に
設定されているということ。
それを 基準 にして
察する 文化 は 存在している。
では
その 概念ベース に
あるものが
すでに ズレて くるって
いるとしたら❓
察する 行為 は
無意味 と 成る。
その枠は
家族、コミュニティ、地域、国、
によって 多種多様。
なのに
その枠という檻が
その人を苦しめていたとしたら
そんな馬鹿げたことを
する意味
あるんだろうか❓
そんなことに
いのち を使う
意味は あるんだろうか❓
そんな
つまらない 概念は
ぶっ壊して しまえば いい。
そんな
息の詰まる 檻からは
出たらいい。
目には見えない
その檻は
とてつもなく
大きな
おおきな
マトリックス。
いきぐるしさ
違和感 を
かんじている
あなたは
間違っていないし
弱い わけ でもない。
それは つよさ だ 。
いのち
たましいの つよさ 。
長いものに
まかれなくて も
いい んだよ。
そんなことに
いのち を
使わなくていいんだよ。
息苦しさは
あなた を 生きる 感性だよ。
たましいは
そう ささやいている。
違和感 や 息苦しさは
いのち を つかさどり
設計図が描かれている
DNA からのギフト です。
その いのち を 生かしてくれている 存在と たましい と
じぶん に 白旗あげて
感謝を。
察する檻に
いられなくても
目の前の人に 対して
感謝と
敬意と
愛と
思いやりと。
それら を
もってたら
それで じゅうぶん。
あのころ の わたしに
未来 の わたし から
おおきな 愛 と
メッセージ を おくる💖
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