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情報にマヨネーズをかけないで。



「好き嫌いはありますか?  」



転職の面接で、唐突にこう聞かれた。

すぐに食べ物の話であることがわかった。  

私が受けたこの出版社では、地元のカフェや飲食店などを紹介する情報誌を発行しているからだ。


「何でも食べられます!」  

得意の満面の笑みで答える。

面接官であった編集長は、「ふむ」といった表情でノートpcに何かを打ち込んでいた。


嫌いな食べ物がないように育ててくれた両親に小さく感謝をしているうちに、面接は終了。

その後もスムーズに選考が進み、無事に採用が決まった。



——
このときはまだ、この質問が"ただの雑談"ではなかったことに気づいていなかった。

3年後。

私はこの問いの本当の意味を知ることになる。


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無事に面接を通過した私は、兼ねてより希望していた雑誌の編集部に配属された。

ドラマで見ていた「雑誌の編集者」に、まさか私がなれるなんて!!

高鳴る気持ちのまま、入社日を迎えた。


直属の上司は、もちろんあの時の編集長。
「The バリキャリ」を体現したような人で、正直怖い。

ひと通り会社の説明を受けたあと、編集長がまたあの時と同じ質問を投げかけてきた。

「好き嫌いはありますか?」  

「何でも食べられます!」  
私も、あの時と同じ笑顔で答える。

ただ、今回は少し違った。

そう答えた瞬間、なぜか空気がピンと張り詰める。  ただの雑談のはずなのに、なんだこの緊張感は?

ひと息置いたあと、編集長がゆっくりと言葉を継ぐ。

「好き嫌いがある人は、何にでも文句を言うのよ。 食べる前から『これは嫌い』って決めつけたり、新しいことにチャレンジしなかったりする。 偏見が多いから、編集者には向いてないの。」  



「それこそ偏見では?」と思ったが、確かにグルメ情報が8割の雑誌だし、好き嫌いがあっては仕事にならないんだろうな〜。  

その時はそう思い、納得した。

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そこから時が経ち、編集者として働き始めて3年が過ぎた。
少し成長した私の元には、毎日のように情報が舞い込んでくる。

「新しい店を開きました! 取材してください」 「こだわりの食材を使っています。ぜひ食べてください」
「知り合いの○○さんが載っていたので、うちも載せてください」  


編集者の仕事というと、文章を校正したり、取材の手配をしたり、現場のディレクションをイメージする方も多いのではないだろうか。

しかし実際は、こうした数ある情報の中から、 「どの情報を選び」「どう伝えるか」を考えるのが編集者の1番の仕事だ。


世界に溢れ出る情報の中から、どれをどのように取り上げるべきかを判断し、読者のニーズを把握して伝えること=情報の加工という役割を編集者は担っている。


その時に必要なのは、主観ではない。
客観的に物事を捉え、考えて判断する力なのだ。


そんな日々の中で、私はライターから上がってくる原稿に、主観的な表現が多いことに気づいた。


読者にとって価値のある内容を届けるのが編集者、そしてライターの役割。

けれど、個人の感想がそのまま載せられていることが少なくない。


それは、ちょうど 「どんな料理にもマヨネーズをかける人」 のようだった。


"マヨラー"という言葉がある。


どんな料理にもマヨネーズをかける人のことだ。
もちろん、それは悪いわけではない。マヨネーズが好きなら、好きなだけ掛ければいい。


でもマヨネーズには「かけすぎると本来の味がわからなくなる」という欠点もある。
本当は素材の味を楽しめる料理なのに、マヨネーズをかけることで、どんな料理も同じ味になる。


情報も同じだ。

ライターの 「好き」や「嫌い」 といった偏見・偏愛という名の"マヨネーズ"をかけすぎると、情報の本来の姿が消えてしまう。
本当はもっとたくさんの味があるのに、マヨネーズの味しかしなくなる。

例えば極端な例だが、こんな文章だったらどうだろう?

「私はパスタが好きだから、この店は最高!」
「大葉が苦手なので、この料理はおすすめしません。」


このように、
「好きだから選ぶ」
「嫌いだから選ばない」  


もし編集者がこんな基準で情報を選んでいたら?
個人の好みに左右された、感想文ばかり掲載していたら?

読者にとって 本当に価値のある情報を届けられなくなる。
そしていずれファンが離れていってしまう。

▶︎だから、編集者は 「情報にマヨネーズをかけないこと」 を意識しなければならない。

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そんなことを考えていたとき、ふと編集長の言葉を思い出した。


「好き嫌いがある人は、何にでも文句を言うのよ。 食べる前から『これは嫌い』って決めつけたり、新しいことにチャレンジしなかったりする。 だから、編集者には向いてないの。」  


あの時、私は「食べ物の話」だと思っていた。 でも、この問いは 情報の扱い方に対する姿勢、そのものを見極める質問だったのだ。


「好き嫌いがあること」自体が問題なのではない。

「好き嫌いで情報を判断すること」が問題なのだ。
編集者の仕事は、情報を取捨選択し、読者にとって価値のあるものを届けること。

だからこそ、フラットな視点が求められる。

個人的な好き嫌いを持つのは自由だけど、それが仕事に影響を及ぼしてはいけない。

つまり、「好き嫌いはありますか?」 という問いは、編集者にとって 最も大切な資質を問う問い だったのだ。  

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「好き嫌いはありますか? 」

編集者やライターを目指すあなたに、この問いを投げかけたいと思う。

情報を扱う仕事をする上で、 好き嫌いの感情が自分の選択を左右していないだろうか?

新しいものを前にしたとき、 食わず嫌いのまま味を決めつけていないだろうか?

何かを紹介するとき、 自分の好みだけで価値を判断していないだろうか?


「好き嫌いがあること」は、決して悪いことではない。私にももちろん好みの味はある。

けれど、それが “仕事をする上での軸” になってしまうのは、危ないと思う。  

だからこそ今、この問いを改めて投げかけさせていただきたいと思う。


「好き嫌いはありますか?」




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