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マイノリティのカテゴライズ

以前の記事がぽつ…ぽつ…と読まれています。
ありがとうございます。


自分のセクシャリティに悩む人も、
多様性を謳って変わりつつある社会に戸惑う人も
様々な立場の方がいるんだなぁと思いました。

いろんな方に見ていただけてありがたいです。
広いインターネットの中で、わたしを見つけてくれてありがとう。


さて。
「今週は疲れたからお休み!!!!!!」
と宣言した直後に
なぜこんな改まって書いているのかと言いますと
「多様性を謳ってる今の社会で、自分をカテゴライズする必要ってありますか?」
とご質問が来たからです。

なるほどね。たしかにね。
カテゴライズしなくてもやってけるならいいじゃんね。

届くかわからないけれど、
ちょっと長めに書いてみようと思います。


①前提:社会と個人は分けて話す

大前提として、マイノリティの話をするとき、社会と個人は分けて考えねばならない、と思います。

ねば、です。
mustです。

なぜならば、日本人は共同体への帰属意識が強く、
社会のあり方と個人のあり方を混同しがち
と思うからです。

知らんけど。論文書いたわけじゃなし。
でもまあ大きく外れてはないんじゃないですかね。

一方、マイノリティがなぜ悩みや孤独感を抱えるのかというと、社会の標準とズレていると感じているから。

実際は標準なんて日々移り変わるものなので
本当は全く意味がないんですが、「そう感じている」と言うのが重要です。

だから、マイノリティの話をするとき、社会と個人は分けて考えなければなりません。

②「社会にとって」カテゴライズの必要はない

さて、では社会の方面から見てみましょう。
社会には、
「人間社会を円滑に回すための規律」があります。
これが厄介で、規律は時流によって変わります。

人口を増やす必要があれば、
男女での結婚をせねばならない

戦争に人手が必要であれば、
戦って国を守ることは美徳だとされる。

どちらも、今は変わりつつある価値観ですね。
でも、たった60年前には当たり前だと言われていた価値観です。
どちらが正しいとか、正解とかはなく、
昔は"正解"とされていた
今は"間違い"とされている

と言うだけです。

さて。
セクシャルマイノリティはどうでしょう。

人口が増え、子供を産むことが"正解"ではなくなり、同性愛を良しとする土壌が育って来ました。
社会にとって、
男女の結婚は"正解"でも"不正解"でもありません。
つまり、カテゴライズする必要はないのです。

③「自分にとって」必要な瞬間はある

だって決めねえと恋愛できないじゃん。
恋愛できなかったら生涯を一緒にいたいパートナーも見つけられないじゃん。
30代や40代で、パートナーがいたり
もう独身でいいやと割り切れているならいいけれど

10代で、好きな人が同性だったら
好きな相手に、嫌悪されるんじゃないか
一生結婚できないんじゃないか
異性も選べるなら、そちらの方がいいんじゃないか
そう思ってる時点で、同性愛者のコミュニティには入れないんじゃないか

この数十倍は疑問が膨れ上がります。
そのときの気持ちは、不安一色。
それまでなんとなく描いていた、
「結婚」や「子育て」のイメージがひっくり返ります。

そりゃあ、こわいですよ。

そんなときには、とにかく仲間が欲しくて
この気持ちを共有したくて、
自分をカテゴライズして
SNSで仲間を探したりしました。
でも出会いが欲しいわけじゃないからそこも困る。

なので、
自分を守るために、カテゴライズが必要な時もある
と思うのです。

④これから

社会は変革期で、まあ頑張っていると思います。
でも、マイノリティかも?と感じた時の
不安はきっと変わりません。

もし、これを読んで「私も同じ不安がある」
と思った人は、
良かったらコメントしてくださいね。

私でよければ、過去の自分の気持ちにはなりますが、同じ気持ちを共有できます。

周りに、なやんでいるひとがいたら、
そう言う人もいたよ、と教えてもらえたらありがたいです。

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