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ウィーンで浮かんでは沈んでいった思念
ドイツへ移住してきてまもなく満36年になる。この間なんどか訪れる機会があったが訪問実現できなかったウィーンにとうとう足を踏み入れることができた。
妻を含む南ドイツ人にとってウィーンこそが首都である。少なくとも文化的には。
ウイーンといえば「音楽の都」、キラ星の如く煌めく楽聖の中に、この都でピアノを学習した日本の少女がいた。内田光子さんである。父上が外交官だったゆえ12歳でウイーン音楽院に留学、2年後に楽友協会で初公演という天才ぶりだった。
その内田さんと、わたしはある日、デュッセルドルフの路上ですれちがったことがある。ドイツ公共放送で彼女を紹介する番組が放映されたころなので、おそらく1990年だったと思う。
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デュッセルドルフにはわが国の領事館があり父上が領事を務めたことがあり、兄上もここでお店をもっておられた。それゆえのご訪問だったと思われるが、「あっ、内田光子だっ」、というわたしの視線に緊張されたのか足早に去ってゆかれた。それだけである。
それからもう30年以上がすぎた。わたしは初めてウイーンを訪れ様々な思念がうかびまた沈んでゆくが、その中の一つの泡のような回憶であった。