一時帰国に撮影機材としてもっていったのは
LMM246+Nokton classic 35mm F1.4 S.C. VM IIだけだった。撮影が目的の旅程ではないからこれで十分と判断した。
また日程的にも撮影の機会は少なかった。なにより入国後15日間の隔離の影響が大きい。こんな時期に(昨年10月から約一月)は帰国したくはなかったが事情があったので仕方がない。
ここではかって住んでいいた押上付近で撮影したのものだけを紹介する。
多少の変化はあったもののかって住んだ一帯はあいかわらず昭和の気配。この異物以外は。そういえばわたしが祖国を離れたのは平成元年だったので約30年間変化がないということか・・・
件の異物が建った理由や事情は知らない。東武電鉄の都合だろうとかってに思っている。あのあたり、かっては東武は素通りで押上住民は主に京成(京浜急行)押上駅か、東武だと曳舟駅で乗り降りする必要があった。
その曳舟駅付近にこんな高層ビルが建った。さっぱり意味不明である。元の住民に相談がなかったのは、まあ当然ではあるが。ちょっと魂消る。
しかし押上の寂れようはどうだ。一部の住民は異物からの客が流れることを期待したようだが。まさかそんなはずはない。かっての商店街で開いている店はほとんどない。かって知り合いだったお煎餅屋さんも消滅していた。書店もそば屋もない。
一人暮らしで外食がほとんどだったが、よく夕食でお世話になったこの店もあるにはあるが営業しているようにはみえない。していたとしてもオーナーはもう代替わりしているだろう。
この店の脇の路はかっては存在しなかったが、異物建設のついでに新たに開かれたらしい。この路のおかげでかって住んでいたアパートへは一直線で到達できる。
しかしそこにはもうあのアパートは存在しなかった。線路際で実にやかましい部屋だったが消滅してしまうとなんだか愛惜の念が湧いてくる。
ここから曳舟駅の方へ向かったが、道に迷ってしまった。
変わっていない道筋だが建物が建て替えられているのでまったく未知の街のようだからだ。通った銭湯さえ見つけられない。
途中、京成曳舟駅近くを通ったがまったく異なる様式とあたりの風景に戸惑う。どうも再開発があったらしい。
これで地価も不動産税もあがったことだろう。これまであった一枚目のようなアパートではなく、この写真のような高層アパートに住むと、この地域に対する見方もずいぶん異なるであろうと推測できるが、わたしにはもう関係のない話だ。
帰りは東武で浅草にでてウンコビルなどを撮った。
昭和末年近くに居住していた押上は寂れて存在していたが、わたしの街への記憶はだいぶ薄れてしまった。記憶を呼び醒ます建築・町並みが変わってしまってはどうしようもない。再訪して見たが懐かしいより情けないという感情が湧いてきた。
LMM246+Nokton classic 35mm F1.4 S.C. VM IIのコンビは、わたしのセンチメンタルとは関係なくよい仕事をしたと思う。しかし異物を撮るには最低28mmが必要だなと感じた。
でもある機材で撮れるものを撮ればいいのだ。
撮ったものの、あまりに個人的な感傷が残った撮影結果だったので、これまでどこにも発表はしないでいたが、ここであえて公開してみた。
こんな光景でも異国にながく住む者にとっては「懐かしいより情けない」光景であること、その視線を理解していただければうれしい♪