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ベルリン、歴史の行方

前回で東西分裂時代に初めて訪れたベルリンの一部についてふれた。この大都市について何か語ろうとして語り尽くせるわけもない。ゆえに自分の感覚や情感でとらえた断片をモザイクのように貼りつけてゆくしかない。

個人史的には、初めてたずねたドイツの街であるし欧州でもあった。しかも社会主義から「改革開放」という名の中共指導下の資本主義化を開始してまもないチャイナからモンゴル・ソ連を通過し東側のポーランド、旧東独を一週間かけてやっとたどり着いたベルリンであった。

その時は、東ベルリンとはあのおぞましい社会主義陣営のなかからの出口でしかなかった。

アレキサンダー広場近くにできたショッピングモール。旧東側の雰囲気は微塵もない。

統一後10数年たってから初めて東ベルリンを訪ねたのは、妻の同僚に東出身の女性ができ、ぜひともと誘われて訪れてみたのだった。

かっては乗ることはできたが下車はできなかった東側のSバーン駅や労働者用の住宅などは、まるでチャイナかソ連を思わせる作りだった。当然と言えばそういえるが、統一後あれだけの時間が経過していまだ社会主義的な荒廃した街並みが残っていることに驚いた。

アレキサンダー広場や旧中央駅付近は今になって再開発されている途中だ。

ベルリナードーム脇からシュプレー川を東へ渡る橋

フリードリッヒ通りから博物館島へかけては再開発が早くすんだ地域で、今回投宿したホテルもそこにあった。博物館島も再開発中でいずれは6つの博物館を地下でつないでしまうらしい。そうなれば世界最大の博物館になろう。

一方、旧西側の凋落は見るに耐えない。かっての中央駅の役目を負っていた動物園駅は今やホームレスとドラッガーのたまり場である。

1981年の映画『クリスチーネ・F 〜麻薬と売春の日々〜』で知られるように動物園駅近辺はもともとそういう場所だった。しかし駅ガード下の大通りに面したたまり場で金髪の若い女が立ち上がりいきなりパンツを下ろして放尿している様を見て、場末もここまで成り下がったのかという思いがした。

トルコ人街クロイツベルクのマロニエの並木

かっての繁華街クーダムも閑散とし、トルコン人街クロイツベルクも人出が少ない。経済的発展は旧東側へ移ってしまった。というのも旧東ベルリンこそが旧帝国の中心であり観光的にも見どころが多いからだ。

ソ連占領地が旧東ベルリンとなり、その他の米英仏の占領地が西ベルリン自由地域となり東ドイツ領土の中の島のように孤立していた。

敗戦国の無惨と悲哀の爪痕がもっとも深い都市が首都ベルリンであった。

ソニーセンターの中庭

東ドイツがBRD(ドイツ連邦共和国)へ吸収合併された後、首都がボンからベルリンに移転した。ソニーはまっさきにドイツ本社をケルンからベルリンへ移転しポツダム広場の一等地にソニーセンターを構えた。

以前は国境で壁が横断し荒廃するにまかされていたポツダム広場の再開発は首都の新しい顔になった。

そこから壁のあった通りを北へ向かうとブランデンブルク門、そこから東へウンター・デン・リンデン通り、そしてフンボルト大学、オペラ、旧王宮、大聖堂と続く。かっての帝国首都が再生しつつある。

再統一後30年をかけてその作業がいまだ進行中なのだ。

この大都市は今後いかなる変貌をとげるのか、まだわたしには見えない。


撮影機材 Leica M Monochrom(Typ246)+ Summaron M 5.6/28





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