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APO-Lantharの夏・2021
去年の7月はベルリンに行き、赤ズマロン一本で撮りまくったのだったが、帰宅してAPO-Lanthar 50mmが恋しくなり、しばらく散歩のお供としていた。
F2という開放値はふだん使いでは十分なボケであることは、ズミクロンR50でずっと前から知っている。F1.4のレンズでもF2に絞るとよい結果が出ることも周知のことだ。
ドイツの夏は爽やかで日も長いから散歩に出かけるのも7時過ぎだ。それより早いと暑くて難儀する。それでもそのころは日の入りが午後10時頃なので撮影する時間はたっぷりとある。
今日は1月末だがちょうど半年の差がある。もっとも暗い時期はすぎ徐々に日が長くなりはじめ春の気配さえ感じもするが、やはり夏のあの外へ外へ心と体を誘う光と空気には遠くおよばない。
そこで過ぎ去った夏をストレージのなかにたずねてみた。
今、脳内ではノクトン50mmF1.0を買おうか買うまいかと迷っている。そこでこうしてF2で撮ったものを見ながらF1.0の可能性を想像するもとにしているのだが、比較すれば暗いF2ながらやはり十分なぼけではないか、と見直しているのだ。
それでも、ではなぜF1.2をゲットしたのか、という疑問がわく。そのころはCosinaさんがまさかのF1.0を出してくるとは考えていなかったのでF1.2でノクチの幻想を追った。そのことは以前にふれた。
F1.2以上のボケがほんとうに必要なのか?それを自分なりに確認するのにF2の写りを確認したかったのだ。
結論。F1.0はいずれゲットするとは思うが、今はこのF2とF1.2を使ってゆこう。このことである。