結局ヒトのすべきことの究極形はこれかも - 2023年6月19日の日記
眠くなると全てが駄目になる、と改めて思う。
例えば大学の授業とか、会議とかもうつらうつらしだすと片足立ちといっしょで一度体制を立て直してもすぐまたうつらうつらしてしまって、学生時代に授業中寝ているやつや、一度起こされたのにまたすぐ寝るやつがいかに辛い思いをしていたかがひしひしと伝わってくる。
こう考えるとあの頃はいろんな人がいたなーと改めて思う。
学生時代というのは人生でもけっこう不思議な時間で、生きていく中でフィルターバブル現象(似ている考えの人で自分のまわりが囲まれてしまうこと)がいちばん起きにくいときなんじゃないかと思う。大学生なら部活でのつるみが友人関係の大部分を占めるし、仕事なんかはその仕事にある程度興味のある人(仕方なく入ってくる人も中にはいるけど)が周りにいる人のほとんどな訳だから当たり前のことではあると思うんだけど、こんなふうに多感な時期にいろんな意見の中に自分の意見を置いて意見の角をとってから大人になる社会構造はある意味で「良識ある大人」を生み出す仕組みとして優れていると思うようになった(突出した才能を保護する仕組みもないといけないが)。
手を動かすと眠気は取れるというが、MacBookでペタペタとキーボードを打つのと鉛筆とではまるっきり取れ方が違う。鉛筆やシャープペンシル特有の筆記感はやっぱり心地いいし、ヒトという生物はやはりアナログに最適化されているんじゃ…?と、時代に逆行する思考が走ることがある。結局はスマホたのしー!PCラクだわー!ってなるにはなるんだけど、この感覚はヒトをヒトたらしめている要素の一つなんじゃないかとも思うので、大事にせねばと思う。自分は直感ってそこそこ大事だと思う派だ。
こう考えると眠くなるのはヒトも人工知能も同じかもしれない。脳や基盤で走るプログラムは眠らないけれど、老廃物やキャッシュが溜まったりして眠く(重く)なるという点で共通していると捉えることもできる。グースカ眠ることは必要だとはわかっていてもどことなく罪悪感を覚えてしまうけれど、どんなものにも休息は必須、よく寝てよく食べる、私たちが今すべきことは結局のところここに尽きるのかもしれない。
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