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逝きざま=生きざま

午前中、夫の車で予定通り退院した実母を病院に迎えに。
言いたくはないけれど言いたいのは、実母のエネルギーは一緒にいるとしんどい。

昨日までのnoteに「愛溢れる記事をありがとう」というようなメッセージを頂いたけれど、実母といる時の私の言動は、多くの人がそうでしょうけれど、とても辛辣だったりする。また、いまだに長い時間接していると、身体が震えたり蕁麻疹が出たり動悸がするほどのアレルギーさながらの反応がまだ時折ある。(色々問題のあった家庭環境)

今朝も退院する時に、年末年始なのにお仕事でご苦労様な二人の看護師さんが立ち会って下さったのだけど、ろくにお礼も言わないどころかものすごい上から目線で「ごくろうさま」と言っていた。こういう人、昔、テレビ局にいた頃、よく政治家にいた。私が一番苦手なタイプ。

それでも今日は、最近AFP(Art of Feminine Presence。私が講師養成トレーナーを務めている女性性をフルに活かして生きるための秀逸なプログラム)のワークのアップデートで、認定ティーチャーのみんなにシェアしたばかりの意識とエネルギーのワークを実践するチャンスだと思って、心の中で(エネルギー上の)ものすごい距離があるイメージをしていたら、大きく心拍数が乱れることもなく、それでいて言いたいことはビシッと言いながら一緒の時間を乗り切ることができた。

数週間後に大手術を控えた夫も
連日のドタバタの中でよく付き合ってくれた。自分の体調や義母の世話もあるのに…。

足がどんどん悪くなる私の実母は、
歩行困難で、杖を使ってもなかなか足を進めることができない。

義母だけでなく、実母も1人で暮らすのはそろそろ限界が来ていると思う。

それにしてもあらゆる場所、あらゆる人間関係で、いちいち「ドラマか!」と突っ込みたくなるほど、信じられないような悪役になる人なのだが、AFPのワークのおかげか、彼女が誰に対しても高飛車で去勢を張り続けるのは、自分のとんでもない恐怖や不安や孤独や弱さを覆い隠すためであり、そうやって必死に生き抜いてきたのだということが、初めてかいま見れた気がした。

実の身内にはなかなかできないことなのだけど、今日はほんの少し余裕をもって見れた。

介助をしながら自宅に一度連れ帰って、実母と過ごすために購入してあったおせち料理を食べ、Uberでコーヒーとケーキを配達してもらい、延々と世の中を罵り続ける彼女のいつもの話を聞き流すようにしながら一息入れた。

その後、また母を連れて、夫の車で父の入所している施設へ。コロナを経て、ようやく2年ぶりくらいのリアル対面。その場での検査で陰性を確認されてから、これが最後のになるだろうという面会へ。

聞いてはいたけれど、ストレッチャーに寝かされて、ある意味「変わり果てた」姿で連れてこられた父を見たとたん、もう「旅立つ準備をした」というのが伝わってきた。

父とももちろん色々あった。幼い頃の暴力などの経験ばかりでなく、とにかく父がアルツハイマーを発症してから別人のように優しく柔らかく、よく喋るようになった、そのあまりにも真逆の別人のような人格があらわれた経験も、私の人生で「人間」を知る上で、父が与えてくれた本当のギフトになった。

病気が進行するにつれ、父は、ボケたとかそういうことでなく、急にレディファーストになったり、「お荷物お持ちしましょう」などと、「あなた誰?」と叫んでしまうほどの変貌ぶりで、随所に「イギリス紳士」を思わせる言動が現れたりした。

過去生というのは実際にあるのだろうと感じた変化でもあったし、そういう意味では本質の魂のようなものは不変なのだと見せてくれた。

変わらないものは芯にある。

それを表現するために生きる人生もあれば、表現しないように生きる人生もある。特にこれまでの時代は。

ストレッチャーにまっすぐ仰向けに寝ていた父は、私達がいる間、目を開けることも身体を動かすこともなかったけど、呼びかけると閉じたまぶたと眉毛がピクピク動いた。動かして反応してくれていたのだろう。

心から「立派だ」と感じた。

私達家族の、そして、医者だった父の昔からの本人の意向としても、ただ生きながらえさせるだけの延命治療はいらないので自然にいかせてやってほしいという願いそのままに、父は、もう食べ物はもちろん、何日か前からは水分も摂ることも拒否し、水を飲ませようとしても口を固く閉じたままだということで、施設から緊急連絡をもらったのだった。

もう本当に最後だ。父に何度も「お疲れ様」と呼びかけた。自分の意思を最後まで示して本当に立派だと感じた。

寝ているだけなのに、そのまっすぐな微動だにしない感じ、そして苦しんだり痛がったりしていない、ゆっくりとしたその呼吸を聞きながら、「大往生」という言葉がきた。

拍手をしたかった。

父が、「どんな状況でも、自分の尊厳は自分の姿勢と在り方で維持するんだ」と教えてくれているようだった。

アルツハイマーを発症してからの父との関係は本当に優しいもので、コロナもはさみほとんど会えなくなってしまったけれど、なぜかエネルギー的にはいつもやりとりしていた気がする。夢にも時々出てきて、色々伝えてくれていた。

まだ散歩ができた頃、父が歩いている後ろ姿から、急にポーンと、
「最後の瞬間まで自分を生き抜きなさい」と声なきメッセージを受け取ったことがあった。

まさに今、それを感じ取った気がした。
そしてそれを感じ取れるようになった自分が、また誇らしかった。

柔らかく繊細すぎるほどのハートを持って生まれた父は、自閉症ぎみだと感じる言動が多々あったし、感情表現やコミュニケーションがまったくといっていいほどない人だったけど、それもやはり、その自分の繊細さを守って守って守り通す姿だったのだろう。

そしてそれすら通り越した彼の魂の姿として感じ取った、堂々たる存在感。
ただベッドに寝ているだけなのに、圧巻だった。
誇り高き崇高な孤高の人。そんなふうに思ったことなど今までなかったけれど、
自尊心と気品あふれる姿だった。

短い時間だったけど、たくさん感謝を伝えることができた。施設の人に乾燥対策でワセリンを塗ってもらっているそうでお肌はすべすべで以前より皺も少なく見えた。あたたかそうな清潔な寝具にくるまれていた。

個人の尊厳を大切に扱ってくださっている施設の方達には、本当に感謝だ。

ほおはこけ、痩せ細ってはいたけれど、お腹の上でしっかりと手を組み、最後まで時折眉を動かしていた。

肉体では本当にこれで最後だと思って、「じゃああとはエネルギー体でね。何か気になることとか必要なこととか、私に伝えたいこととかあったら、また夢に出てきて教えてね」と伝えた。

ちょうど1年ほど前、父の延命措置はなしでよかったんだろうか、と反芻していた時、夢に出てきた父は、私に「薬をぜーんぶやめたら自然に治っちゃったんだよ。元気になっちゃったよ」と嬉しそうに話していた。
それで「何もしないでいい」、というメッセージとして受け取ったことがあった。

今回も1ヶ月くらい前だろうか。夢に出てきた父は、出かける支度をしていた。嬉しそうに「そろそろ出かける時間だぞ」と言っていた。やはりそういうことだったか、と今、思う。

今日、ほんの15分ほどだったけれど、面会時間でじゅうぶんに伝えたいことは伝えられたと思う。途中、父の目から何度かうっすらと涙のようなものが滲み出ていた。

不思議なことに、私は悲しくなかった。父が結局、家族と離れてずっと一人で最後まで生き抜いたことを思うと、切なくはあったし愛しさでいっぱいになったけれど。

そして父の生き様=逝き様を讃える気持ちでいっぱいだった。

父をこんなに近くに感じ、通じ合っていると感じたことは生まれて初めてだったかもしれない。

ああ。

父と私。 実は仲良しだったんだね。



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