見えなくてもあるもの
ここ数日床下の断捨離をしている。
3部屋ある床下が全面収納スペースとあって普段は見えないけれど、どこもぎっしりものが入っている。
私が入れば胸までの深さがあり、ファミリーであれば布団や季節のものや場所を取りがちなスポーツ用品とかキャンプ道具とか雛人形七段飾りとかガンガン入れるのかな。
我が家の場合70%が生地で、布フェチの私がこの十数年買い求めて来たお宝的代物。
どれをとっても思い出深く、素性や経緯を覚えている。
良い機会なので、向き合ってみるもムムム、どれも捨てられない気持ち。
ここで思い出したのは、断捨離提唱者やましたひでこさんの言葉。
捨てるものを探すのではなく
「捨てるものを探すのではなく選び抜く」
そして
「新しい家での暮らしにも連れて行きたいか」
これで即座に視点が切り替わった。
ひとつひとつ手に取り、生地との関係性をじっくり検証した。
わあすてきと一瞬で燃え上がり飛びついたものほど、その時だけのムーブメントで終わっていた生地の存在に気づいて、私を支えてくれてありがとうと丁寧にお別れ。
これからもよろしく的な生地たちは、素材や用途別にしてまとめて戻した。
床をガーッと電動で戻してみれば、断捨離前となんら変わらない部屋がそこにある。
けれど、部屋全体の空気がそれまでのとは全然違った。
明らかに軽くなっている。
帰ってきたしゃもじも開口一番、なんなら自分が朝出て行った時より地上は散らかっているのに、なんか空気軽いね?と言ったほどその変化は明らかだった。
停滞から流動すること、新たにできた余白というスペースが、この心地よさを作り出しているという実感がある。
おもしろいな、断捨離。
軽いを体験して初めて、それまでの重さに気づくのだよね。
これを機にまたひとつ、今の私に不要・不適・不快なものとサヨナラできそうだ。
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いつもありがとうございます
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