博愛主義だなんていえない
救命救急の待合室で救急車で運ばれた81歳の奥さんの延命措置の選択を迫られている旦那さんをみている。数分おきに深いため息をつく彼の背中を見守ることぐらいしか私にはできない。
職業柄、突然の別れとか延命措置の選択とかお看取りとか何度も経験するけど慣れることなんかなくて、毎回身を切られるように辛い。それなのに、市井の人は親や伴侶でその辛さをいきなり経験するんだと思うと、さぞかし焦るし苦しいだろうと思う。とかいう私も、いつか迎えるだろう身内の死際は恐らくすごくテンパるだろうし、多分これまでの痛みを遥かに超えてくるんだろうと想像する。
身内といえば、このあいだメンタルやられた友達のケアを試みようとして見事に失敗したことが悔やまれる。彼(女)のことを思うあまり言わなくてもいい事まで言ってしまった。
これまで培ってきたケアのスキルが身内に限って通用しなかったことに愕然としたし、身内もおいちゃん達も別け隔てなく接しているなんて無邪気に思っていた自分に失望した。博愛主義だなんて口が裂けてもいえない。まだまだ私は弱い。
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