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風邪と永続可能な関係性

風邪をひくと世界でひとりだけ取り残されたような気分になる。

体調を崩したその日、私は車いすのおいちゃんの受診同行をしていてた。病院の入り口で検温があって、おいちゃんは何ともなかったけれども、私は37℃以上あったので隔離されてしまった。診察だけ同行して、おいちゃんの健康に何も問題ないことだけ確認した。診察室の去り際に「職員さんも頑張ってくださいね」と看護師さんから声をかけられた。帰りの車中でおいちゃん達にはケアをしてくれる存在がいるけれども、私をケアしてくれる存在はどこにいるんだろうと考えて心細くなってしまった。

幼い頃は母親がいたし、1年前までは恋人がいた。でも今は独りだ。ふらふらした頭でドラッグストアでポカリやらリポDを買いながら「そもそも私は誰のために何のために風邪を治そうとしているんだろう?」と何だか辛くなってしまったので、それ以上考えないようにした。その日は何も食べずにそのまま倒れるようにして寝た。

翌朝起きると、シェアメイトが食料を買ってきてくれたり、ポトフをつくってくれたりしていた。心がじわっと温かくなる。うちのシェアメイト達は本当に優しい。こんな日常がずっと続けばいいのにと思う。シェアメイトとの関係はいつか来る終わりがみえているからこそ、たまに切なくなったりもする。来年の今頃も私は彼女達と一緒に暮らしているんだろうか。それともひとりなのだろうか。先行きの約束されていない関係性は不安で、だからみんな結婚したり、家族をつくったりするのかなと思った。

家族や恋人同士だと互いに依存しがちだけど、シェアメイトとは自立した関係性を保ったまま優しくしたりされたりすることができるのが心地よい。ひとはひとりでは生きられないけれども、ひとりでも生きられる前提がなければ誰かと生きていくことは難しい。永続可能なシェアメイトみたいな関係性を誰かと築けないだろうかと朦朧とする頭で考えている。

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