今日ときめいたこと244ーリヒャルト・ゾルゲの墓にまいる。
Yutakaさんの記事に触発されました。確かゾルゲ事件のリヒャルト・ゾルゲの墓は多摩霊園にあったはず。
ゾルゲ事件とは
「ゾルゲ事件は,1941年9月から翌年6月にかけて日本政府の政治や軍事の機密などをソ連に通報した容疑でドイツ人リヒャルト・ゾルゲ(1895-1944),尾崎秀実(1901-1944)らを中心とした諜報組織が逮捕された事件です」(「ゾルゲ事件とは何か」岩波書店 編集部からのメッセージより)
以下の説明文は「ゾルゲ事件とは?」(新国立劇場サイトpdf資料)より引用ー
ーゾルゲの生い立ち
「ゾルゲは、1895年にロシア帝国の領土アゼルバイジャンの油田の町バクーで生まれた。ドイツ人の父とロシア人の母をもち、3歳で家族とともにドイツに移住。
18歳の時、第一次世界大戦でドイツ志願兵として戦場に赴き、3度の負傷。3度目
の負傷で除隊となるが、この時の後遺症で生涯片足が不自由になってしまった。
1919年、 ドイツ共産党に入党。国際共産世界の実現を夢見てコミュ
ニストになった。その後、ロシア共産党に移り、共産党の国際組織であ
るコミンテルンの一員となった。1929年にソ連赤軍第四本部に移り、
1930年1月、 ドイツの新聞記者の肩書きをもって上海へ。その目的は、
中国国民政府と中国をめぐる資本主義列強の動向を調査するためだっ
た。ここ上海でアメリカ人女性ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを介
して尾崎秀実と出会うことになる」
ーゾルゲの活動
「1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦が勃発する。ゾルゲはモスクワからの緊急指令として独ソ戦に関する日本軍の動向を探る任を受ける。ゾルゲと尾崎は、さまざまな情報ルートを用いて日本の対ソ戦回避を画策した。1941年9月、御前会議で日本軍の南進政策が決定。その知らせを受けたソ連軍はスターリングラードの戦いに兵力を集中させドイツ軍に圧勝する。任務を完遂して安堵していたゾルゲと尾崎だったが、翌月の10月にこれらの活動が発覚し、 ゾルゲのグループは「国際諜報団事件」 として日本人の検挙者は35名、うち18名が治安維持法、国防保安法、軍機保護法などの違反容疑で起訴された」
ゾルゲは1944年11月7日ロシア革命記念日に処刑されている。その後遺骨は雑司ヶ谷の共同墓地に埋葬されていたものを愛人の石井花子が探しあて多摩霊園に埋葬し直したという。スターリンの死後ゾルゲの名誉回復がなされ、英雄の称号が与えられている。現在はロシア大使が墓参をする慣例になっているようである。
ゾルゲ事件に関しては機密扱いになっていたこともあって未だ謎が多く、ロシアでは長年ドイツとの二重スパイとみなされていた経緯がある。だがプーチン大統領がKGBのスパイを志したのは少年時代に見たゾルゲの映画の影響であると語っているように現在では英雄として称賛されている。
最近出版された名越健郎著「ゾルゲ事件80年目の真実」(文春新書)が面白そうである。
書評
「処刑から80周年――機密解除資料が明かす「史上最高のスパイ」の闇
戦前の東京で暗躍した旧ソ連の大物スパイ、リヒャルト・ゾルゲ(1895~1944)の処刑から2024年11月で80年となる。近年、ロシアではゾルゲの再評価が進み、未公開資料も続々と表に出てきている。
本書は近代ロシア研究の第一人者である名越健郎氏がそうした機密解除資料をもとに、ゾルゲのスパイとしての活躍を臨場感たっぷりに描き出した作品である。
オートバイを駆って上海や東京の街を疾走し、夜の社交界で巧みな話術で権力者たちに食い込み、ドイツ大使夫人、シーメンス社支店長夫人、ルフトハンザ航空幹部の夫人、VIPの女性秘書、アグネス・スメドレーほか手当たり次第に女性と不倫関係になり(なおかつ女性たちを情報源とし)、本国で進むスターリン粛清に脅える――そうしたゾルゲの日常が生々しく甦り、まるでスパイ映画のようである(略)