2024/10/20 歌による夕の祈り 曲目紹介
こんにちは。
本記事では、2024/10/20(土)に行われます、『歌による夕の祈り』にて歌われる楽曲をご紹介いたします!
🍑歌による夕の祈り🍑
2024年10月20日 (日)
聖パウロ礼拝堂(立教大学新座キャンパス)
15:30開場 16:00開始
入場無料・予約不要
🔸演奏
指揮:小橋 遼
奉唱:Amplus Choir
オルガン:守 航平
チェロ:石原 咲
<Introit>
William Byrd (1543-1623): Sing Joyfully
ウィリアム・バードは、16世紀後半のエリザベス1世時代に活躍した、イギリス・ルネサンスを代表する作曲家です。彼はミサ曲だけでなく、多くの英語の歌詞によるアンセム(聖書に基づいた歌詞による、礼拝のための楽曲)を残しました。中でもこの『喜び歌え』は詩編81編から引かれ、その明るく力強い、祝祭的な旋律とハーモニーから、合唱団のレパートリーとして人気の高い作品となっています。6声のパートが複雑に絡み合いながら、多層的かつ重厚なサウンドを作っていきます。バードは、言葉の世界観を音楽的に描写することに長けており、特に中間部の「角笛を吹き鳴らせ」の箇所では、それまでのポリフォニックな動きから変わり、後のバロック時代や、古典派時代の音楽を思わせるような、リズミックな合奏が奏でられます。まるで、たくさんの角笛が一斉に鳴り響いているかのような光景が、想像できると思います。このモノフォニックな部分を経て、再びポリフォニーへと移り、豊かなハーモニーを続けながら、曲は締めくくられます。『喜び歌え』は、バードの作曲技法の高さを象徴しており、彼の技法は後の英国音楽家に大きな影響を与え、豊かに発展していきます。
<聖歌31番>
『日暮れて闇深まり』は、英国では2012年のロンドン・オリンピックや、サッカーのFAカップの決勝前に歌われるほど人気が高く、宗教を越えた重要な聖歌です。世界的には「Abide With Me」の曲名で知られ、ヘンリー・フランシス・ライト(1793-1847)による詩に、ウィリアム・ヘンリー・モンク(1823-1889)の曲が付けられています。牧師であったライトが、死の直前に書いたとされ、人生の夕暮れ(eventide)において神の導きと支えを求める祈りの言葉が紡がれています。モンクはライトの詩に、シンプルでありながら、起伏の少ない美しいメロディーを充てており、荘厳かつ豊かなハーモニーの響きを与えています。一日の終わり、夕焼けが差し込み、これから夜に向かうときの危険を遠ざけ、神とともにあることを祈るこの聖歌は、キリスト教会だけでなく、困難な状況にある人々に寄り添い、慰めや希望を与えてくれます。ちなみに、作曲者のモンクは、立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊の初代隊長である、エドワード・ガントレット(1868-1956)の母方の伯父に当たります。
<Canticle>
Henry Purcell (1659-1695): Evening Service in G minor
イギリス・バロック時代を見ていく中で、欠かせない人物がいます。それがヘンリー・パーセルです。パーセルは、17世紀後半にロンドンで生まれ、36歳で夭逝した作曲家です。彼は幼い頃から音楽の才能を発揮し、オペラや劇音楽、歌曲、そして器楽曲において、多くの素晴らしい作品を残しました。特に有名なものとして、歌劇『ディドとエアネス』や、『音楽祭のためのオード』があります。彼の作品は対位法の技術力の高さと、ハーモニー感覚の高さが調和しており、特にフランスやイタリアのバロック音楽のハーモニーを用いながら、英語の歌詞による表現力の高さが特徴的です。またウエストミンスター寺院のオルガニストとしても活躍したパーセルは、教会音楽作品においても、その技術を余すところなく注いでいます。
『夕の礼拝 ト短調』は、『マリヤの賛歌』と『シメオンの賛歌』の二曲で構成されています。4声の合唱と、6声のヴァース(節)が交互に繰り返される、いわゆる「ヴァース・アンセム」の形態を取っており、イギリスのルネサンスおよびバロック期に流行した、音楽形態の一つです。6声のヴァースにおいては、さらに高声部3声と、低声部3声に分かれて交互に歌われ、その響きの違いが、独特の美しさを誇っています。残念ながら、この作品の自筆譜は残っておらず、現在歌われているものは、ヨーク・ミンスター大聖堂にあった写本に基づいているとされています。また、『シメオンの賛歌』における栄光唱は、トーマス・ローズイングレイヴ(1688-1766)という作曲家が追加したもので、アーメン唱の煌びやかさが、印象に残るつくりとなっています。今回はポジティヴ・オルガンの他、バロック・チェロによる通奏低音とともに奉唱します。優雅でありながらどこか儚さを放つ、巨匠パーセルの音楽を感じていただければと思います。
<主の祈り>
作曲 坂本 日菜(委嘱初演)
「主の祈り」は、キリスト教において、イエス・キリストが弟子たちに直接教えた祈りとして、とても大切にされている祈りの一つです。新約聖書のマタイによる福音書第6章9節から13節と、ルカによる福音書第11章2節-4節に記録されており、信仰生活の実践的な祈りとして、礼拝だけでなく、個人の祈りの時などにも広く用いられています。
この祈りは主への呼びかけから始まり、神の救いの実現や日々の糧、そして罪の許しを願います。その上で、わたしたちが他者を許すことを宣言し、悪からの誘惑に陥ることがないよう神に求め、全てのみ栄は、永遠に神のものであると述べて祈りは閉じられます。ここで重要なのは、「わたしたちも人を許します」の部分です。キリスト教の教えの一つに「愛」がありますが、そこには「神の許し」という大切な考えが存在します。アダムとイブの原罪により、人間は一度神から離れてしまいました。しかし神は人間を許し、神と人間の関係を回復するため、イエスを地上に送りました。イエスは、神が人を許したように、わたしたちも他者を許すことを説いたのです。
しかし、わたしたちは頑なな心ゆえに、「人を許すこと」の実践が難しいことを知っています。ゆえに、この「主の祈り」は宗派を越えて唱えられている祈りである理由なのだと思います。
坂本さんによる『主の祈り』は、滑らかな旋律とともに息遣いが大切に扱われています。自然な言葉の運びと音楽との調和が図られ、終止落ち着いた楽曲となっています。「わたしたちも人を許します」の部分は、二拍三連符が連続で用いられており、時間をかけ丁寧に歌われ、曲のピークに置かれています。坂本さんによる、静謐であたたかなハーモニーに耳を傾けながら、これまで生きてきた時間を振り返り、ともに祈りましょう。
<Anthem>
John Ireland (1879-1962): Greater Love Hath No Man
ジョン・アイアランドは、19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した、後期ロマン派に位置する英国の作曲家で、ロンドンの王立音楽大学でチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード(1852-1924)から作曲などを学びました。彼は幅広いジャンルにおいて作曲を行いましたが、特にピアノ曲や歌曲において優れた作品を残しています。彼の作風は感情豊かなメロディーと、洗練された和声が特徴的で、クロード・ドビュッシー(1862-1918)などのフランス印象主義の影響を受けています。また彼は孤独感や不安など、人間の内面世界や繊細な心情を表現することにも長けていました。
アンセム『これ以上に大きな愛はない』は、1912年に作曲され、彼の代表的な合唱作品として、英国国教会の礼拝などで歌われています。作品のタイトルは、ヨハネによる福音書15章13節「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(聖書協会共同訳)に由来しています。作品自体は複数の福音書やパウロの書簡、雅歌など、聖書の様々な部分を引用して構成されており、全体として「献身」と「犠牲」が一貫したテーマとして流れています。その犠牲は、特にイエス・キリストが人間の罪を救うために、人の子として十字架にかけられ復活したという、イエスの自己犠牲の側面が、楽曲において強調されています。冒頭のテノールのメロディーが静かに始まり、合唱がそれに続き、「愛は死のように強く」(雅歌8:6、同)、「大水も愛を消し去ることはできません。洪水もそれを押し流すことはありません。」(雅歌8:7、同)、という力強い言葉とともに、音楽も重厚になり、徐々に熱を帯びていきます。中間部のソプラノソロとバリトンソロでは、「そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。」(ペトロ一2:24、同)とあるように、イエス自らの犠牲により、私たち人間が義によって生きることが出来るようになったことを裏付けています。それらの旋律に導かれ、再び合唱とオルガンが豊かに鳴り響いていきます。そして同じリズムで三回繰り返される合唱部分は、ファンファーレのごとく高らかに歌われ、終盤の劇的なクライマックスで、合唱・オルガンともに最高潮に達します。その後、天国を思わせるようなハーモニーが響きながら、曲は閉じられます。様々なメッセージが込められたこの作品は、宗教的な意味を越えて、普遍的な愛に向かって歩んでいく、わたしたち人類の姿を物語っているようにも見えます。
<聖歌527番>
この聖歌の原曲はスコットランド民謡です。特に18世紀のスコットランドの詩人ロバート・バーンズの詩を用いた「The Banks o' Doon」として有名で、スコットランド西部を流れるドゥーン川の景観を描き、自然の美しさと失恋の悲しさを歌っています。元の民謡はスコットランド以外の国々でも人気が高く、広くクラシックやフォークソングなどに編曲されています。
日本聖公会聖歌集では、ジョン・ベル(b.1949-)とグラハム・モーレ(b.1958-)が付けた英語の詩を翻訳しています。十字架にかかり苦しみ死んだ、イエスの大きな愛を歌いつつ、罪や自身の弱さと向き合い、痛みに寄り添う、いやしを歌った聖歌となっています。今回は2節の後に間奏を挟み、3節でト長調に転調します。
この聖歌では、日々を生きる私たちや、戦争や紛争で傷ついた人々など、全ての人々が神の愛の中にあることを示しています。私たちは生きている中で、苦しみや不安に翻弄され、疲弊し、生きる希望を見失うこともあります。そして時に他者から傷つけられ、また他者を傷つけてしまいます。それでも私たちが今、生きることが出来ているのは、他者から許され、そして、他者に支えられて来たからではないでしょうか。人間は、一人で生きることは、決してできません。互いに手を取り合い、互いに励まし合うことで、再び前へ進む勇気と力が湧いてくるのだと思います。これまでを生き抜いてきたように、どんな時も希望を失わずに、これからの日々を歩んでいけるよう、礼拝の最後に、みなさんでともに歌いましょう。
解説:小橋 遼