嫌いだった才能を使ってみたくなった話
1つ目の記事にみんなnoteを始めた理由を書いているので私も書こうと思う。これは3つ目だけど。
私は、「現代文自信ニキ」だった。全部本文中に答えが書いてあるなんて楽な科目だとずっと思っていたし、受験は人生で2回したが、現代文の勉強はしたことがなかった。
選択肢の問題は見た瞬間に、記述問題もスラスラ解けた。もちろん試験の対策としてはある程度の訓練もしたが、他の科目でした苦労に比べれば本当に微々たるものだった。
才能というにはあまりに大袈裟なのだが
運動神経も、絵の才能も、歌の才能も、人並みの手の器用ささえも神様のところに置いてきた私の中で相対的には唯一神様から授かったと思えるような能力だった。
勉強の場面以外にも文章を書く機会があれば普段褒められることのない私が褒めてもらうことができた。
なのに、私は国語が得意なことが嫌だった。文章を褒められるのも半分はうれしくて半分は恥ずかしかった。もっと別のことが得意だったらよかったのにと小さいころから思っていた。
だから私は理系科目を勉強し続けて理系の大学に入り、卒業した。
進路を決めるころに文系ならばみんなの憧れのあんな大学やこんな大学にも簡単に入れるだろうと親や教師たちからさんざん言われた。
それでも私は自分の言語的な能力の高さを恥に思っていた。数学ができるほうが儲かるみたいな話もそのころには知っていたんだろう。当時の私の狭い視界と凝り固まった視界では理系に行くことでしかもやもやを晴らすことはできなかった。
全然勉強なんか得意じゃないくせに
才能を生かす機会を丸ごと放り投げ、
そんな選択をしてしまった。
大学に入ってからもすごく苦労した、数学的センスなんて全然なかったから。
だけど、それによって私の謎のコンプレックスはすっかり解消された。理系の大学を卒業しただけで、世の中に理系の人として扱われる。(理系同士や専門職だと院卒じゃないと話にならないが)
そしたら今度は「現代文自信ニキ」のパワーを使ってみたくなった。
国語力が上がってしまうから読書もしてこなかったし、大人っぽい文章を書く訓練もしてこなかったけれど、好きに書き散らせるここならいいだろうと。
これがnoteを始めた理由。