インフルエンザ
カシャ_____________________。
カシャ_____________________。
カシャカシャ____________________________________。
金曜日の午前十一時、俺は仕事もせずに外で写真を撮っている。
カシャ__________________________________________。
カシャ__________________________________________。
またあそこにもいい景色が。
カシャ。
おぼつかない足で自転車を漕ぎながら、冬の陽射しを探す。仕事はないのかだって?ああ、大丈夫だよ。だってインフルエンザに罹った患者ができるわけないからね。
昨晩のことだった。仕事終わりにランニングをしていた俺はやけにだるい身体を起こしながら風呂に入った後、気化熱のような表面的な肌寒さとは違う、骨の芯から震えるような悪寒を覚えたのだった。これは何かあるぞと思った俺は、夕飯も食べずにいち早く厚着を着込んでローソンへ駆けつけ、体温計を購入した。まるでジャンプの最新号を待ちわびた小学生のように、その場で開封し、測った体温は38.1℃。ボーナスの額面よりも嬉しい数字だった。
会社が休める。それも合法的に。朝、高熱と倦怠感がある旨を上司に連絡した後、発熱外来に行って検査と処方を受ける。そこで俺の金曜の業務は終了だ。
ちょっとした熱だけなら問題はなかったかもしれない。しかし今回に限っては悪寒と倦怠感、次いでに関節痛もしてきていた。これは風邪以外の何かしら…
もしかしてインフルエンザなのではないか。
「インフルエンザですね。」
デスクトップ上に反映されたカルテを見ながら医者は即答した。検査は陽性。徴収した事情と症状からもその可能性が高いとのことだ。
「今の時期流行っているので、処方箋出しときます。会社との折り合いつけて安静にしてください。」
受診後、併設している薬局で処方箋をもらうと、特にお腹もすいていなかった俺は食後の頭痛薬と抗ウイルス薬をその場で飲んで帰路に就いた。しかし安静にすることはできなかった。
新しい場所に行くとき、カメラを持っていく癖が自分にはあった。それは罹患しているかどうかは関係なく、その日もカメラをぶら下げながら自転車で病院に向かっていた。つまり、安静にするも何も最初から遊ぶ気満々だったということだ。処方箋、飲んだから少しは大丈夫だろう。
薬局を出ると、ひやりと冷たい風が頬をくすぐった。病院を背にして、一本の道路を挟んで目の前に大きくテナント募集をしていた空き家にはススキが繁茂し、冬の陽射しに照らされて白銀に揺れている。薬局の隣に軒並み立つ保育園からは、ススキの穂が擦れた後に、ピアノに合わせた「カエルの歌」が遠くから聞こえていた。この、罹患によって合法的に社会から切り離される「休養期間」が俺は好きだった。それは平日の、太陽が昇る時間帯を一人自由に活動することができるという非日常空間を堪能できるからだが、罹患以上に許されないことがないという安堵もあるからだ。前者の探求心だけであれば休日の中にも見出すことは事実上可能ではあるが、休日には限りがある。後者の罹患が伴うと、症状の回復という不確実性の高い期限が含まれるため、回復しないまでは安静にするほかない。仕事をする必要も、休日を限られた時間内で謳歌する必要もない。ここに一種の永遠の兆しを見出すことができるのが休養期間の好きなところだ。だから本来、病院から家まで自転車で15分のはずを、俺は1時間以上かけて帰ることになったわけだが_____________。これも致し方ない。
カシャ_____________________。
カシャカシャ____________________________________。
景色のほとんどが、車道とそこを走る車のために構えられた商いで構成されており、その脇道にちらほらと草木が繁茂している。この、粗削りされた画一的な無機質の中で見いだされる繊細な草木の鮮やかさ。
カシャ_____________________。
カシャカシャ____________________________________。
遠くを見れば冬の空はペンキ塗りたてだ。触れたら手まで青くなってしまうほど溢れんばかりの青が目前まで押し寄せている。それは画一的な抽象画のように車道の灰色と折をなしている。
おぼつかない足で自転車を止めては、カメラを向ける。撮っては漕いで、撮っては漕いで。インフルエンザは高熱、倦怠感、それと関節痛が主要な症状と聞いているが、見る景色のどれもが美しいと感じてしまうのも、症状の一つなのだろうか。