学校行事との向き合い方

 高校3年生の春まで学校行事が苦手だった。何のためにやるのか分からない。1年後、クラス替えをしたら、関係がなくなる人がほとんどなのに、クラスで一致団結して動く必要があるのか。学校行事なんてくだらないものだ。
 中学1年のa先生から、「1週間後の体育祭でやるクラス対抗の大縄飛びに向けて、昼休みに練習していたんだ。なのに、平松(著者)は、何で参加しなかったんだ。みんなでまとまろうとしているのに、和を乱すのか」と注意を受けた。嫌でも協力をしないといけないんだ。私は、気持ちを堪えて練習に参加した。運動が得意で、「もう1回やってみようよ」と意気揚々と声をかける同級生を面倒に感じていた。笑顔で「もうちょっとだよ」と言う先生を見て、私の気持ちなんて到底分からないんだろうなと学校の先生たちに対して諦めていた。そして、学校行事が終わる度に、感想文を書かされた。クラスでまとまるためにこういう努力をした。一生懸命練習して、とても楽しかったという前向きな文章を先生がハナマルをつけ、評価していた。学校行事はみんなで協力しなければならないものだと思い込んでいた。
 高校3年生の体育祭の1週間前、担任のb先生は、「体育祭といったみんなで1つの事を成し遂げるという事が苦手な子だっていると思う。でも、一生懸命やりたいっていう子もいるんだ。最低限でいい。最低限でいいから、協力してあげなさい」と話してくれた。その言葉が私の胸に刺さった。言われた事をやっていれば、同級生や学校の先生から何か指摘される事は無くなった。3年生の体育祭は、今までの学校行事の中で何1つ嫌な思いをしなかった。
 友達100人できるかななど多くの同級生と仲良くする事が良いことだという考えがある。しかし、いじめや人間関係の不和で悩み、不登校になる人も少なくない。同級生とは最低限の付き合いだけでもいいんだという別の考えがあってもいいのではないか。

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