ヨルダンでパレスチナを感じた日
文:マイサ(元UNRWA美術教師)
私はヨルダンの首都アンマンにあるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校で、小学校4年生から中学校3年生の授業を担当していました。
みなさんはアラビア語の文字をご存知ですか?
右から左に読むあのニョロニョロとした文字です。
アラビア文字は美しく、時には絵画のように表現されることもあります。
そんな中、学校の授業で生徒が制作した作品が実に愛らしくかわいいので見てください。
授業では、工作、絵画、立体等いろいろなテーマに取り組みました。
生徒が制作する作品の中に、パレスチナの国旗がモチーフになっていたり、パレスチナの土地の形を表現したものがたくさんありました。
高学年の授業の一環で校舎の壁に絵を描くことがあったときは、教員や生徒の多くから国旗を描きたい、と提案がありました。
このように、生徒の作品を通して、子供達のパレスチナ人というアイデンティティが育っているのを感じました。
私の出会った教員の多く、そして生徒たちの大半はヨルダンで生まれ育っています。それでも、生徒はよく「わたしはパレスチナ人なんだよ」と言っていました。
生徒たちはよく、「あなたは何人なの?」と私に質問してきました。
当時「難民」という言葉を、言葉としてしか理解していなかった私は、ヨルダンで生まれ育って日常を平穏に送っている彼らに難民という言葉が持つイメージがあまり結びついていませんでした。
けれど、ヨルダンにはパレスチナ難民に対しての制度や支援があり、難民キャンプと呼ばれる地区が存在していて、彼女たちの周りを取り囲む世界が「あなたはパレスチナ人よ」と言っているように感じたこともあります。