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「パレスチナを知ろう」#草の根パレスチナ0605オンラインイベントまとめ②
2024年6月5日に行われたzoomイベント「パレスチナを知ろう」(#草の根パレスチナ0605)のまとめ記事その②です。
当日の流れは、以下の通りです。
1. ごあいさつ(ひろこ)
2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか)…この記事でまとめています。
3. アーデルさんのお話
4. ゲスト3人の座談会
5. 質疑応答&おわりに
2. パレスチナ難民キャンプの思い出(まりか)
私はヨルダンの中でも最も大きいパレスチナ難民キャンプのバカアキャンプというところでボランティアをしていました。
バカアキャンプの学校には当時1000人以上の6歳から15歳までの子供たちが通っていて、私はそこで音楽の授業のサポートをしていました。
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今、報道で「パレスチナ」と聞くと、私はこの子たちを思い出して、みんなが元気でいてくれたらなと思います。
どんなに遠い場所でも、そこに知り合いがいたら、「あの人たちが元気でいてほしい」と思うことは誰にでもありますよね。
パレスチナというと地理的にも心理的にも遠い国に感じてしまうかもしれませんが、皆さんにもパレスチナの人たちを身近に感じてもらうために、私が出会った人々を紹介します。ぜひ彼らと知り合いになってください。
まず最初に、バカアキャンプは1967年の第3次中東戦争後に作られたキャンプで、10万人以上住んでいると言われていました。当時10万人以上だったので、今はもっとたくさんいるかもしれません。
1967年に難民として逃れてきた方々の孫やひ孫の世代が今も住んでいます。
1人目の子はリハームさん、当時中学生(14〜15歳)です。
学校で会うといつも「おはようございます」と日本語で話しかけてくれる子でした。
学校で働いていると、毎日いろんな子供たちが「家に遊びにきて!」と誘ってくれるのですが、彼女もその一人でした。
彼女の家に行った時、彼女は大量のパスタを作って出してくれました。
家に招待されると、よくお客様用のご飯を作って招いてくれる方が多いのですが、この時の彼女は、家族と同じ食べ物を出してくれて、自分たちの生活の中に私を招き入れてくれてたことがとても嬉しく、印象的でした。
リハームさんは、とてもたくましくて素敵な女の子です。
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続いて2人目は、同じ学校のアラビア語の先生、インティサール先生です。
彼女のお父様は1968年に難民としてヨルダンにやってきた方ですが、キャンプではないところに住んでいました。それで、毎日一緒に通勤していました。彼女の妹がバカアキャンプに住んでいたので、その家に連れて行ってくれました。
甥っ子のカイスくんと姪っ子のトゥートゥーちゃんが出迎えてくれて、楽しい時間を過ごしました。
私もお礼に家に招いて肉じゃがと海苔巻きを作ったんですが、海苔を見て「なにこれ、紙かなあ」と言っていたんですが、食べてくれました。
3人目はヒバちゃんで、当時13歳でした。
彼女は毎日のように「うちに来て!」と誘ってくれたので、何度か遊びに行きましたが、本当に日本でもいるような普通の女の子で、将来はお医者さんか先生になりたいと言っていました。
でも数学が苦手と言っていたので、今どうしているか…。
彼女の家に行った時、屋上からバカアの景色を見せてくれて、「私この景色が大好きなんだ」と言っていたのが心に残っています。
本当に素敵な空でした。
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このように、難民キャンプの生徒たちや同僚の先生方と関わりながら、私は生活してきました。私の帰国3日前には、同僚たちが文化祭のようなイベントを開催してくれたのですが、このイベントにも協力してくださったのが今日のゲストのアーデルさんです。
アーデルさんは当時パレスチナ難民局というところに勤めていらっしゃって、日本人のボランティアのコーディネーターもしていらっしゃいました。その関係で何度もお目にかかったことがあるのですが、そのご縁で今日はこうしてゲストにお呼びすることができました。
最後に、このパレスチナの問題は75年以上前から続く問題で、自分にできることなんて何もないんじゃないかという無力感でいっぱいになります。
でも、誰かが誰かを心配したり、元気でいてほしいと願ったりという人間の温かさというものに私は期待しています。
今日はこの後、アーデルさんの他にもウマルさん、マリアムさんといったパレスチナの人々のお話があるので、ぜひお友達になったような気持ちでお聞きいただければと思います。
私の話は以上です。ありがとうございました。
(「まとめ③(https://note.com/preview/ndc8c21740c54?prev_access_key=8fde5b3c49043a3a0ef5825bf66cdb29)」に続きます)