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『連絡、待っています』

■ 社長からの電話
 午前中の打ち合わせを終えると、これまでにも多くの少年を雇用してくれている建設会社のH社長から、何度も着信が入っていた。何かよくないことが起こったのか、とちょっとドキドキする。
 かけなおすと、電話にでた社長の声は意外なほど明るかった。
 「昔、うちでやとっていたOという子を覚えていますか?」
 もちろん、覚えている。僕が、福岡県就労支援事業者機構と一緒に就労支援をやるようになって、最初の少年事件だった。機構を通じて、H社長を紹介してもらったことを思い出す。
「最後、トラブルを起こして、出て行ってしまって心配してたけど、今朝、会社に訪ねてきてですね。『その節は、迷惑をかけました。お世話になりました。』と、それを伝えたかったらしくて。あんまり、うれしくて、先生に電話をしちゃいました。」
 朝から、心地の良い電話だった。

■ 複雑な家庭で育った少年
 保護観察中に窃盗等でつかまったその少年は、複雑な家庭環境で育っていた。母親はきちんとした仕事をしていたものの、親子の関係性は、一風かわっていた。裁判所の調査官が連絡を入れても、普通の親のような反応はなく、おそらく審判への出席も期待できないのではないか、と思われていた。
 また、少年自身の他者へのかかわり方も、独特だった。非常に愛想はよく、最初は信頼されるのだが、関係が深くなると、きまってトラブルを起こす。今思えば、「愛着」の点で大きな問題を抱えていたのだろう、と思う。
 そんな少年を雇用してくれたのが、H社長の会社だった。少年鑑別所まで「面接」に行き、審判にも出席してくれたおかげで、なんとか試験観察となることができた。
 その際、予想に反して審判に出席した母親が、「なんでこの子は少年院にいかなかったんですか。少年院に行くと思って、この子の荷物は、ぜんぶ捨てたのに」と何度も繰り返し語っていたのが、印象的だった。

■ 試験観察後の状況
 こうしてぎりぎり試験観察となった少年は、最初のころは、H社長のもとで、非常にまじめに働いていた。しかし、徐々におかしな反応をはじめる。はっきりした理由もわからないまま、仕事をさぼったり、調査官面談をすっぽかしたり、 保護司と面談しなかったり。
 実際に会社の寮まで会いに行くと、僕には愛想よく対応するだけに、彼の不安定な行動が当時は理解できなかった。
 中間審判の際には、あまり少年事件に向いているとは思えない裁判官から、相当きつい言葉で、調査官面談、保護司面会をすっぽかしたことを批判された。なんとか試験観察が続行となったものの本当にぎりぎりだった。
 そのことは、中間審判が終わったあと、担当だった年配の女性調査官が、泣きながらこう話してくれたことからもわかる。
 「私が裁判官に行ったんです。『私は明日で定年なんで、お願いですから、少年院送致だけは、辞めてください』と。」
 残念ながら、少年はそのありがたみを理解してくれてはいなかった。
 その後、職場で他の従業員とトラブルを起こした少年は、会社の寮に荷物を残したまま、姿を消してしまった。
 19歳だった少年は、そのまま20歳となり、少年審判は、所在不明のまま、審判不開始とし処理された。付添事件としては、完全な”失敗"事案といえた。

■ 切れない関係
 しかし、それから1年ほどたって、ほとぼりが冷めたころ、元少年から事務所宛てに電話があったので、食事に誘った。それまで、人間関係を継続するのが苦手だった元少年も1年以上、同じ会社で働いているそうで、現場の責任者などもまかせられているという。
 少年が、少しずつ成長していることが確認できて、ほっとするとともに、とても嬉しくかった。その後も、たまに連絡がある状態が続いていた。
 
■ やめられないですね。
 そのような状況のなかで、過去を振り返り、反省の気持ちも芽生えたのかもしれない。不義理をした相手に会いに行く、謝りに行く、というのはなかなかハードルが高い。それができたことが元少年の成長なのだろう。
 H社長がいう。
「いろいろ大変なことがあってもこういうことがあると、やめられませんね!」
 少年にかかわっていると、正直、失敗したなぁ、とか裏切られたたなぁ、と思うこともたびたびある。でも、かかわり続けることで、少年の成長を実感し、喜びを感じれることもあるのだ。

■ 少年の結婚披露宴
 その後、元少年から、結婚式の招待状が届き、H社長も、ぼくも出席した。子どもも生まれ、さらに少年は落ち着いたように見えた。
 披露宴も終わってしばらくたった年末。たぶん、忘年会の時だったと思う。少年が、急にこんなことを口にした。「昔、ぼく、うちの親とは仲がいいとか、いっていたじゃないですか、でも、自分に子どもができてわかるんですけど、うちの親、ちょっとおかしかったですね(笑)」
 ようやく自分を客観視できるようになったと思って、安心したものだった。

■ 連絡を待つ
 これで話を終えられるといいのだが、そう都合よくはいかないのが、現実の難しいところである。
 1年半ほどして、元少年は、職場に連絡もせず、姿を消した。奥さんとも離婚したらしい。住んでいたアパートの連帯保証人にも迷惑をかけている。

 たぶん、彼の子どものころの体験は、いまでも彼の情緒の不安定さに影響を与えているのだろうと思う。
 彼を担当したあと、さまざまな少年たちと出会い、多くのことを学ぶことができた。今の自分なら、前よりはいくぶんましなアドバイスができるかもしれないし、適切な支援先につなぐことができるかもしれない。
 こんな状況だけど、いや、こんな状況だからこそ、元少年がまた連絡をくれないかな、とこころから願っている。その気持ちは、たぶんH社長も同じだと思う。 


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