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『野口義弘物語』③~事務所荒らしの少年

※この物語は、野口義弘さんから聞き取りしたものを、野口さんの一人称で、文章化したものです。

1 協力雇用主への登録

 私は、平成7年の5月に独立して、野口石油を立ち上げました。
すると、それを待っていたように妻から「協力雇用主に登録してくれている会社が少ないので、野口石油も、登録をしてくれない?」と頼まれました。
協力雇用主とは、保護観察の少年や成人を雇用する事業者で、非常に重要な役割を果たしているのですが、当時、北九州市では、5社しか登録がありませんでした。北九州は、全国でも非行少年が多い土地柄ですので、本来であれば協力雇用主も多く必要なはずですが、当時は、人口比からしてもあまりにも協力雇用主の数が少なかったのでした。
 私は、ハルコを皮切りに、その後、何人かの非行少年と出会ってきていましたので、彼ら、彼女らがが世間が思うような性根の悪い子たちではないことを知っていました。
 そこで、野口石油として、よろこんで協力雇用主に登録することにしました。
2  いい子がおるんやけど
 ある日、元非行少女の従業員チカコ(仮名)が私にこういいました。
「とてもいい子がおるんやけど、面接うけさせてもらえんかいな。」
 聞くと、たまたま知り合いになった16歳の少年が、なんらかの事件を起こしたあと、警察から逃げ回っており、地元に戻ってきたものの行き場がなくなって、困っているので助けてあげてほしいとのことでした。
 ここでみなさんたちには、意外に思うかもしれませんが、非行少年や元非行少年同士は一瞬で仲良くなります。それは、彼らが、寂しがりやだからです。お互い、ちょっと接しただけでお互いの心の傷を理解し、友だちとなり、助け合おうとしだすのです。
 チカコもきっとそんな感覚で友だちとなったのでしょう。少年のことをこころから心配して、私に面接をお願いしてきたのでした。
 その少年がどういう事件を起こしたのかは知りませんし、逃げ回っている事情もよくわかりませんが、困っているのは間違いない。そのままにしていたら、さらに逃げ回って、もっと悪いことに巻き込まれてしまうかもしれない。私は、とりあえず、面接をするから、その子を連れてきなさい、とチカコにいいました。
3 面接をしたら断わらない
 私は、子どもたちに直接会って、面接をしたら、断らないようにしています。全員、採用です。
 面接を受ける少年たちは、それまで多くの大人に傷つけられています。否定されてきています。だから、面接のときは、緊張しています。勇気をふり絞って、面接を受けに来ているのです。それなのに、もし、わたしどものような、小さなガソリンスタンドが、採用を断ってしまったら、どうでしょう。ただでさえ傷ついている少年たちをより、傷つけることになってしまいます。
 ですから、私は面接をしたとき、この子が仕事を続けていくのはちょっと難しいかな、と思ったときでもとりあえず「採用!」と伝えて、働いてもらうことにしているのです。
4 少年との面接
 その少年-アキオとは3つあるスタンドのひとつ中原店で、面接を行うことにしました。チカコが連れてきたアキオと最初にあったとき、私は、昔、映画で見たインディアンを思い出しました。金髪で長く垂らした髪、革ジャンを着て、耳にはピアスを4つずつ。それだけでは飽き足らず、鼻と唇にも、ピアスをしていました。
 昔の私でしたら、その姿にひるんでしまい、不自然な態度をとってしまったかもしれません。でも、このころには私は、ハルコをはじめ多くの子どもたちと出会ったことで、子どもたちを見た目で判断してはいけない、ということを学んでいました。
 私は、目を覆い隠すように長く垂れていた前髪を両手でかき分けて、アキオの目を見ました。目を合わせると、まっすぐな綺麗な瞳が現れました。にっこりと笑いかけるといいアキオは、素敵な笑顔を返してくれました。
5 被害者は野口石油
 いったいなぜ、逃げ回るような状態になったのか。まずは、じっくりと話を聞くことにしました。
 アキオは、6人組のグループで、事務所荒らし(=住居侵入窃盗)を繰り返していたそうです。すでに、グループのうち4人が逮捕されていたため、いつか逮捕されるだろうとは思いつつも、自首する勇気もなかったアキオは、四国まで逃げて、塗装業などに従事敷いていたとのこと。


 それでも、まだ16歳の子ども。やはり、地元に帰りたい、という気持ちが強くなり、北九州に戻ってきたものの、逮捕が怖くて、実家にも戻れない。行く当てもなく、夜の街をぶらついていたところ、チカコと出会ったのだそうです。
 少年の話を聞きながら、そういえば野口石油の戸畑店も、1年ほど前、事務所荒らしに入られたことがあったな、ということを思い出しました。ガソリンスタンドのガラスは、震災などにも耐えられるように普通よりもかなり強度のあるものが使われています。ところが、知らせを受けて駆け付けたときには、ガラスがめちゃくちゃに割られて、現金や有価証券が入った20キロ以上もある金庫が持ち出されていました。金庫は、翌朝、近所の小学校の校門近くで発見されましたが、現金は抜き取られていました。
 よくよく、少年の話を聞くと、数十件の事務所荒らしのうちの一件が、まさに野口石油の戸畑店だというではないですか。加害者である少年が被害者のガソリンスタンドの面接を受けるというのも、おかしなめぐりあわせですが、そのことを知ったのがアキオとゆっくり話をしたあとだったこともあってか、不思議と腹が立ったりしませんでした。
 私はアキオを自分の自宅に招いて、風呂に入らせ、食事をとらせながら、話をしました。
 「いつまでも逃げ回っていても、お前もつらいやろう。きちんと自分がやった罪は償って、社会に戻ってきなさい。そのときは、野口石油で雇ってあげるから」と伝えました。
 翌朝、私は少年を戸畑の警察署に連れて行きました。自分から出頭したほうが、その後の罰も軽くなるでしょうが、なにより本人の気持ちが違います。同じ罪を償うのでも、いやいや償うのでは意味がない。積極的な気持ちで、自分の犯した罪と向き合ってほしかったのです。
6 被害者からの雇用証明書
 逮捕され、少年鑑別所に送られたアキオから私あてに手紙が届きましたが、その内容というと「出てきてからの仕事のことを、お母さんとか、家裁の調査官の人と話して、野口石油で働かせてもらうのが一番いいんじゃないか、と言われています」などというばかりで、はっきり「働かせてください」とは書かない。アキオが野口石油で働きたいという気持ちはあるのに、こんな微妙な言い回しをするのは、きっと断られたときに傷つかないようにするためのなのでしょう。
 でも、アキオにとって、これは精一杯の意思表示なのは、十分伝わってきました。私が面会に行って、「もちろん、働いていいぞ。早く出てこい」と答えると、少年は顔を真っ赤にして、全身で喜びを表現しました。
 その後、鑑別所から次のような手紙をもらいました。
今回、僕は、野口さんを含めて、いろいろなひとたちのおかげで変われたと思います。前の僕の考えのままだったら、自首とか絶対にできなかったろうし、もし捕まっても、ここまで反省していなかったと思います。自分でもびっくりするぐらい考え方が変わったなぁと思ったりします。そういう面では、逮捕されてよかったかと思います。
 私は、アキオのために、家庭裁判所に「雇用証明書」を作って提出しました。私たち、協力雇用主は、このように非行等をおかした少年らが社会に復帰した際には、雇用することを約束します、という内容の証明書を裁判所に出すことがよくあります。社会に出ても働くところがあるのであれば、再非行をする可能性はぐんとさがるので、少年院送致を避けて、社会で立ち直るチャンスをもらえることもあるのです。
 でも、事務所荒らしの被害者が加害者でsる少年を雇用します、という証明書を提出したのは、相当、珍しかったのではないかと思います(笑)。
 何十件も余罪があった少年でしたが、なんとか反省が認められて、保護観察となり、翌日から、野口石油で働くことになりました。
7 少年は出会いを待っている
 寡黙で、サービス業向きではない少年でしたが、それでも、精一杯頑張ってくれました。私の誕生日には、プレゼントにひざ掛けを送ってくれたりするやさしい気遣いもみせてくれました。
 8か月ほど経ったころ、相談をうけました。やはり塗装の仕事がしたい、というのです。そこで、野口石油のお客さんである塗装業者の社長を紹介することにし、少年はそこで働くことになりました。
 野口石油ではこのように、他の仕事で働きたい、という希望があれば、尊重するようにしています。もちろん、ようやく仕事にも慣れてきたころにやめられるのは、会社としてはつらいところもありますが、本人の夢はかなえてあげたいと思いますし、気持ちよく野口石油を「卒業」して、たまにスタンドに顔を出してくれる関係になれるのもまたうれしいことなのです。
 この少年は、現在では塗装業で独立し、数年前に法人化して、いまでは、自分が非行少年を雇用する立場になっています。
 何十件もの事務所荒らしをして、四国まで逃げていた少年でしたが、その後、再非行は一切ないまま、少年院に行くこともなく、家族もできて、いまは幸せに暮らしています。昔、非行少年だった子が今は、更生を支援する側になっている姿を見ると、本当に誇らしく思います。
 今にして思うのは、アキオとの面接を戸畑店にしなくてよかったな、ということです。もし、アキオが窃盗に入った戸畑店で面接をしようと決めていたら、少年は自分が盗みに入ったガソリンスタンドだということに気づいて、面接を受けることもなく、その後の雇用もなかったでしょう。そうしたら、そのまま逃亡生活を続けて、もっとひどいことに巻き込まれていたかもしれません。
 そう思うと、人の縁とはつくづく不思議なものだと思うのです。


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