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『繊細過ぎる少年』

■ ストレスの多い生活  
 少年は、高校時代、毎日1時間以上をかけて自転車で学校に通っていた。野球部の朝練に間に合うようにするためには、まだ暗いうちに家をでなければならない。野球は、少年と父親をつなぐ数少ない共通項だった。


 あまり器用な方ではない少年は、高校時代、一度もレギュラーにはなれず、大学受験も失敗してしまった。そんな経緯で浪人生活を送っている間に、少年は事件をおこしてしまった。
 特に少年事件においては、ストレスが多い状態が続いたときにどのような反応を示すかは、ひとそれぞれである。それがリストカットのときもあれば、引きこもりのときもあり、万引きだったり、暴力行為のときもある。少年がおこしたのも、そのたぐいの事件だった。

■ 父親に認められたい
 少年と面会を繰り返せば繰り返すほど、少年の”父親に認められたい”という気持ちを強く感じた。
 少年は「ぼく、野球大好きなんです。だから高校も無理して通ったんだし」と答えていたが、それが本当に、野球というスポーツを好きな純粋な気持ちなのか、それとも父親との共通項を失いたくない、という切実な思いから来ているのか、わからなかった。
 勉強になると、その傾向はより強かった。経験上、勉強自体にモチベーションをもってやっているのか、親の期待に応えるためにやっているのかくらいはすぐに見分けがつく。少年の話を聞いていると、親を失望させたくない、親の気持ちに期待に応えたい、という思いから、勉強を続けているのだろう、というのが伝わってきた。問題は、そのことに親はもちろん、少年本人すら気づいていないことだった。

■ 強すぎる父親
 その日の親との面談では、母親が都合で来ることができず、父親と一対一となった。父親は、大声で自説を語り、根性論ですべてを解決しようとするようなタイプだった。繊細過ぎる少年とは真逆だ。
 「私はね、この機会に、あいつに格闘技を・・、とくに空手をやらせようと思っているんです。実は、私の父親、つまりあの子の祖父は、空手の師範なんです。私も、若い頃、バカをやったときに、父親から修行をやらされて、でもそのおかげで、いまの私があるんです」
 何を言っているんだろう、このひとは、と思って、すぐには返答ができなかった。ちょっと時間をおいて、考えをまとめてから、父親にこうかたりかけた。
 「お父さん、冷静に考えてください。息子さんと、お父さんは似たタイプですか?」
 しばらく時間があった。 「いや、違いますね」
 「息子さんは、非常に繊細で弱い、お父さんとは真逆のタイプだと感じてます。真逆のタイプの人に、同じことをやって、効くと思いますか?」
 父親も、ちょっとだけ、自分の言っていることの愚かさに気づいた様子だった。

■ 自分のメガネを押し付ける
 「7つの習慣」という本には、「自分のメガネをおしつける眼科の医師」の話が例え話として出てくる。
 最近、遠くのものが見えなくなったという患者に対し、「私の使っているメガネは、よく見える。これをあげるから、使いなさい」と度があってもいないメガネを押し付ける医師の話だ。その人にとって、最良のものでも、別の人にとっては、そうでない場合がある。
 最初、その話を読んだときに、「そんな人がいるわけない!」と思ったが、このお父さんとの会話を通じて理解した。自分のメガネを押し付ける人は、確かに実在するのだ、と。

■ 繊細過ぎる少年
 結局、少年のこれまでの生活には、無理がありすぎて、大学受験という目標も本当に正しいものかは、これから一緒に考えましょう、ということにして、なんとか審判では、試験観察としてもらった。
 試験観察当初は、ふつうに生活しているという様子だったが、やはりそれまでと同じ生活では、ほころびがでてくる。ある日の朝、母親から電話をもらった。
 「あの子が、倒れたんです」
 少年は、ささいなきっかけで、父親と口論となった。それまで、従順だった少年が、父親と口論となったこと自体、初めてのことだった。でも、父親はやはり気が強く、少年を打ちのめそうとする。
 そのストレスからか、倒れた少年は、そのまま精神病院に入院することになってしまった。

■ お見舞い
 精神病院にお見舞いに行くと、事前に担当医から状況や注意点を説明される。
 「全然、反応がないかもしれませんが、ショックを受けないでくださいね」
 確かに、面会はできたものの、少年はベットのうえで、うつろな表情を浮かべるだけで、ずっと遠くを見つめていた。ぼくが会いに来たことすら認識できていない様子だった。


 少し前まで、鑑別所で普通に会話をしてくれていた少年が、会話をすることはおろか、ぼくが来たことすら認識できなくなっている状態を見るのはショックだった。これ以上、この状態が続くようだったら、強めの薬物治療に切り替えざるを得ない、ということであり、その場合、回復の見込みはほとんどなくなる、という話だった。
 ぼくは、自分がかかわっておきながら、少年がこのような状態に陥ったことに強い自責の念を感じていた。父親とは、切り離した状態で生活させることをもっと強く主張すべきだったのではないか、もしかしたらそのままま少年院にいっていたら、こんなことにはならなかったのではないか、と思うと眠れなくなった。
 面会の状況を家裁に報告した。家裁からも担当医に確認したのだろう。結果的には、審判は続行不可能と判断されて、終了することになった。無力感にさいなまれた。

■ その後の少年
 それから1カ月ほどして、母親から連絡をもらった。
 「もうすぐ、退院できそうです」
 結局、両親の意見があわず、投薬治療に踏み切れない状態が続く間に、奇跡的に少年の反応がよみがえってきたらしい。なんとか会話もできるようになり、少年は退院することになったそうだった。
 その連絡を受けて、ちょっとだけ救われた気持ちになった。

 それからまた、少年から連絡がくるようになった。
 少年からLINEで、「会いたいです」と連絡が来る。そのころには、少年も20歳を超えていた。せっかくなので、軽く食事に行くことにした。
 特にトラブルがあって相談したい、というのではなく、ゆる~い会話がしたかったそうだったが、逆にそのことがうれしかった。
 せっかくだから、美味しいものをたべさせようと思って、なじみの店に連れて行った。
 熟成した牛タンをほおばった少年は、しばらく表情をとめたあと、ゆっくり笑顔になり、ようやく一言いった。
 「もう、笑うしかないですね」
 それが彼のおいしさの表現だった。
 「本当は、もっと、グルメレポーターみたいにうまく言葉で表現できるといいんですけど」 と元少年はいう。けれど、その笑顔のほうが、 巧みな言葉よりも、雄弁においしさを表現していたように思う。
 「いま、誰かにこれを食べさせたいと思った?」と聞くと、少年は、即座に「お母さん」と答えた。
 「じゃあ、自分で働いたお金で御馳走してあげられるように頑張らないとね!」と言っておいた。
 その後も、スープの出汁ひとつでも感動したり、お茶の香りを楽しんだり。 やはり、この子は繊細だったんだな、と思わせられた。この子にはこの子なりの特性があるのだから、無理をせず、自分の感性を大事にしてもらいたいな、と改めて思った。


 少年も、そのことに気づきはじめたらしく、自分をありのままに受け止めることを学んでいっている最中のようだった。
 凄く落ち込んでいる時期、元気がない時期を知っているだけに、徐々に社会に、そして本当に自分になじんでいこうとしている少年の姿を見て、すこしだけホッとした。


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