『双子を救った小さな偶然』
■ 行き場のない双子
ある日、他県に登録替えをした先輩弁護士から、電話をもらった。いまは、偉大なお父さん弁護士の元で、研鑽を積んでいるらしい。
「福岡に、田川ふれ愛義塾っていうのがあるって聞いたんだけど知っている?行き場がない子どもがいて、なんとかそこにつなぎたいんだけど」
「で、なんで、ぼくならつなぐことができる、と思ったんですか?」
「いや、なんとなく知ってそうだし。」
田川ふれ愛義塾は、全国でも珍しい少年を対象とした更生保護施設だ。弁護士になったばかりのころ、うわさを聞きつけて、見学に行ったことがある。その後、何度か、交流する機会があり、代表者の携帯番号も知っている。
そういう意味では、偶然とはいえ、ぼくに電話をしてきたのは、”正解”だったといえた。
詳細はさけるが、ある大きな事件があって、父母は当分の間、刑務所暮らしとなる。その子どもである双子の男の子も生活が乱れていたこともあり、少年事件となっているが、環境が悪かっただけで、非行が進んでいるわけではない。にもかかわらず、養育する人もいないので、少年院送致が濃厚なのだ、という。
「あの子たちが悪いわけじゃないのに、大人の都合で、少年院送致になるなんて、許せない」
先輩弁護士のその気持ちはよく理解できた。
「でも、あそこは、全国から行き場のない非行少年を引き受けているから、すぐに入れるとは限らないですよ。しかも双子ですか・・」
「そう聞いているけど、そこをなんとかお願いしてみて!今度、一杯おごるから!」
こういういきさつで、田川ふれ愛義塾の代表者である工藤良さんに電話をすることになった。
■ 工藤さんとの会話
「どこにも行き場のない子がいるらしいんですが、なんとか引き受けてもらえませんか?」
ぼくが工藤さんにそう伝えると、しばしの沈黙があった。
「・・・わかりました。先生の頼みならなんとか、調整します」
そう工藤さんは、言ってくれた。だが、もう一つ伝えないといけないことがある。
「その子どもが、双子らしいんです。2人も同時に、受け入れたりできますか?」
恐る恐る聞くと、工藤さんは、「双子ですか!わかりました。何とかします!」と即答しててくれた。
無理なお願いを受け入れてくれたことに感謝した。
その後、無事、先輩弁護士と工藤さんをつなぐことができ、双子の兄弟は、保護観察となって、田川ふれ愛義塾で新しい生活を送るようになった。
ただ、ひとつだけ疑問が残った。どうして、双子の受け入れを即断してくれたのだろうか?
■ 運命
後日、別件で工藤さんとあったときに、そのときのことを聞いてみた。
「あのとき、双子だと聞いても、躊躇なく受け入れてくれましたよね。あれはなぜだったんですか?」
工藤さんは答える。
「ちょうど、うちの妻が身ごもったことがわかったばかりで、それが双子だったんですよ。何かわからないけど、その双子もどうにか、自分で助けてやりたい、と思ったんですよね。これも運命です」
人はときとして、必然ではなく、偶然に動かされるのである。
■ その後の少年たち
それから、5~6年が経過したある日、別件の打ち合わせで、ぼくは田川ふれ愛義塾を訪れて、工藤さんと打ち合わせをしていた。打ち合わせが終わって、玄関を出たところで、見送りに出てくれた工藤さんが「お~い、ちょっとこっちこい!」と一人の若者を呼び寄せた。
工藤さんは、その若者にこう、声をかけた。
「おまえが、ここで生活できるようになったのも、この先生がつないでくれたからなんだぞ。ちゃんとお礼、言っとけよ」
あのときの、双子の弟だった。お兄ちゃんは、一足先に、就職して、ふれ愛義塾を卒業したらしい。弟も、すでに身長はぼくより大きくなっている。もう立派な青年だ。
その青年は、大きな声で、「おかげで、ここまでやってこれました。これから就職で、田川ふれ愛義塾は離れますが、本当にありがとうございました!!」
その笑顔を見ると、彼がこれからの新しい生活にどれだけ期待しているのかがよく伝わってきた。
最初で最後の出会いになるかもしれないが、元気な姿を見れてよかった。
ぼくが果たした役割は、ただ双子を、田川ふれ愛義塾につないだ、という小さなことにすぎない。
でも、ときとして、その小さい役割が、大きな成果を生み出すこともあるのだ、と実感した。
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