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「家栽の人」とぼく。その②

■ 新人弁護士時代
 ぼくは、新人弁護士として、積極的に少年事件に取り組むようになった。そのなかでも、心に残った事件がいくつかある。
 A少年は、両親と兄、姉のいる普通の家庭で幸せに暮らしていた。けれども、中学に入学したころに、母親が不治の病となり、亡くなり、父親は酒浸りとなって、子どもたちに暴力を振るうようになった。姉はそんな家庭に嫌気がさしていつしか返ってこなくなり、父親も姿を消した。アパートを追い出されたA少年と兄は、寮のある建設会社の現場を転々とするようになった。
 A少年の兄は素行が悪く、兄が問題を起こすたびに、職場を追われた。そして、しまいには兄は犯罪行為に手を染めるようになり、A少年はその見張り役をやらされてしまった。兄しか身寄りがなく、兄から日常的に暴力を振るわれていたA少年に、兄の命令を拒むことはできなかったのだ。
 家庭裁判所の調査官は、A少年を、少年院に送るべき、という意見をもっていた。しかし、A少年の心根に問題があったのではなく、置かれた環境が過酷すぎたのだ。ぼくは、まっとうな環境を与えるべく、A少年を雇ってくれる雇用主を探した。さいわい、それまでにも何人も、非行少年を受けれたことのあるT社長と出会うことができた。ぼくはT社長と一緒に鑑別所へ行き、T社長とA少年との「面接」が実施されることになった。
 T社長は、少年のこれまでの話を聞いて、「それは大変だったろう」と共感を示してくれた。そして、おもむろに立ち上がると、少年に握手を求めた。握手をしながらT社長は、「これは働き者の手だ。頑張ってきたな。これならうちに来てもきっと頑張れる」と言ってくれた。
 就職先が決まったことを報告して、審判の日を迎えることになった。少年は、T社長への感謝の気持ちなどを、朴訥とした口調で、きちんと言葉にして、裁判官に伝えた。そのうえで、ぼくは少年には、「試験観察」が相当である、と意見を述べた。
 しかし、調査官は、少年院送致の意見を変えようとしない。そんな状況で裁判官は、結論を下した。
「調査官が試験観察はできない、といっているので、私が直接、あなたを担当します。とりあえず、これから2週間、T社長のもとで働いて、次の審判のときに、感想を聞かせてください」
そうして、日記をつけるためのノートをA少年に手渡した。
 2週間後、最終審判が行われ、A少年は無事、保護観察となった。調査官の意見に左右されず、T社長の思いと、A少年の更生可能性を信じてくれた裁判官に感謝した。
 そして、思った。こんなまるで「家栽の人」のような審判が現実にあるのだな、と。
■ 毛利甚八さんとの出会い
「家栽の人」の原作者である毛利甚八さんと直接会うようになったのは、弁護士になって数年後のことだ。
 弁護士会で開催するイベントに、先輩弁護士が毛利甚八さんを呼ぼうか、と軽い感じで提案したことに驚いた。実は、「家栽の人」の後半部分は、福岡で実際に起こった事件(体罰事件)をモチーフにしたものであり、その際の取材で、福岡の先輩弁護士と毛利さんは、かなり親しい仲になっていたのだ。


 イベントの打ち合わせ等で、毛利さんと会うなかで、自然とぼくのことも覚えてくれたようだ。毛利さんもぼくも同じ佐世保出身ということも、覚えてくれた理由かもしれない。気づくと、携帯電話で連絡を取り合うような仲になっていた。
 実際に、毛利さんが取材をしたいということで、非行少年を多数雇用してきた北九州のガソリンスタンド野口石油の野口義弘さんを紹介したり、北九州で就労支援を広げるためのイベントをする際に手伝ってもらったり、福岡の家庭裁判所の移転にともない市民集会を開いたり、いろいろいな場面で一緒に活動するまでになった。



 ある日、2人でお酒を飲んでいるときに、毛利甚八さんがこんなことを言い出した。
「ぼくはね、あの『家栽の人』という漫画を描いたことを後悔しているんだよ。実際に、裁判所のひとたちと接してみると、桑田判事のようなひとは、本当はいないんだとしみじみ感じてね。社会に対して、裁判所の間違ったイメージを広げてしまったのではないか、と後悔しているんだ」
 ぼくは最初、毛利さんが作家的な表現方法のひとつとして、否定的な発言をしているだけではないか、と思い、その言葉を本気では受け取れなかった。しかし、何度、聞いても、同じような話になる。本気で後悔しているようだったので、ぼくはこういった。
「もしかしたら、毛利さんが『家栽の人』を書いたときには、桑田判事のような裁判官はいなかったかもしれない。でも、『家栽の人』に影響された世代が、裁判官になり、弁護士になり、『家栽の人』に描かれたような感動的な審判が行われているんですよ」
そして、ぼくは、先ほど挙げたような審判の話をいくつか、話した。すると、毛利さんは、「そうか、そうだったら、描いてよかったのかもしれないね」としみじみと答えてくれた。

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