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『連鎖していく就労支援』②

(『連鎖していく就労支援』②から続く)
◆ Kくんへの就労支援

 そのころ、ぼくは別の少年Kくんの問題をかかえていた。
 最初にあったとき、Kくんは、養護施設で育った15歳だった。戸籍上、両親はいるものの、子どもに対しよい影響を与えることはまったくない親だった。高校に進学しない、ということで、施設を出ることになったKくんに対し、寮のある仕事を紹介してほしい、と児童相談所とかかわりの深い弁護士から頼まれたので、仕事を紹介した。
 それから1年以上たって、人間関係がうまくいかないから、別の職場で働きたい、という。こういうときは、辞めることを叱っても意味がない。黙ってどこかへ行ってしまったり、職場で暴力沙汰等を起こさなかっただけえらいと思って、次の仕事を紹介することにした。
 18歳未満の年少少年も多く雇ってくれた実績のある雇用主さんに連絡をとり、そこで働くことになった。それからしばらくは楽しそうに働いていたのだが、やはり時間がたつと、人間関係がうまくいかなくなる。
「社長のことは大好きなんですけど、一緒に働くひとたちがいやがらせしてくるんです」「おれのほうがまじめに仕事をしているのに」
 Kくんは、いつも同じような問題につきあたる。自信がないから、自分を大きく見せようとして、かえって反感を招いたり、距離が近づきすぎると関係を壊してしまったり。ただ、いまそこを指摘しても、簡単にはなおらないだろう。さて、どうしたものか。
 困っているときに、ははこぐさの会のイベントで、再会したのがセカンドチャンス!福岡の新代表となるRくんだったのだ。
「なかなか仕事が続かない少年がいるので、アドバイスしてもらっていいだろうか」と頼むと、Rくんは喜んで引き受けてくれた。
 結局、KくんはRくんの元で働くことになった。他の従業員も若く、元気のある職場だったみたいで、最初はKくんも「すごいうまくいってて、楽しいです!」といっていた。しかし、いつものように、いい状態は、長くは続かない。
 結局、他の従業員と衝突が起こるようになり、KくんはRくんのもとを離れるようになった。
「一生懸命やったつもりなんですけど、あいつのことはよくわからないですね」
 Rくんがそう言いたくなる気持ちもわかる。でも、ぼくからみると2人はそっくりな部分がいっぱいあるのだ。
 その後も、Kくんには、別の仕事を紹介したり、自分の知り合いの会社で働くことになったからと突然紹介先を辞めたり、ホストになりたいと言い出したり、と苦労をさせられた。ふつうのコミュニケーションが上手じゃないのに、ホストは無理だろう、と思ったが、そのときのKくんは聞く耳を持たなかった。
 近いうちに挫折して、また助けを求めてきたときに、手を差し伸べるほかないか、と自分に言い聞かせた。
◆ 元少年、情状証人となる
 ぱったりと連絡がなくなって、しばらくしたある日。かなり離れた他県の警察署から電話があった。
「Kという者を確保しておりまして、先生を弁護人にしたい、といっていますが・・・無理ですよね」
 Kくんは、ついに闇バイトに手を出してしまったらしく、余罪もかなりあるらしい。ただ、片道3時間半かかる地域の弁護を国選でやるのは、不可能である。
 結局、現地の国選弁護人と連絡をとりつつ、Kくんを支援していくことにした。国選弁護人にぼくの連絡先を伝えるように、Kくんに手紙を書く。連絡をくれた国選弁護人にはもし出て来れる見込みが少しでもあるのであれば、居住先とか就労先については、協力することを伝えた、はずだった。しかし、いくら待っても、弁護人から連絡がない。あまりに間が空いたので、こちらから連絡をすると、「追起訴も一通り終わって、次の公判で結審なのですが、情状証人もいないし、やれることがないんで、実刑は避けられないですね」という。いやいや、最初の電話で、居住先や就労先については、協力するといったはずなのに。
 そんなとき、セカンドチャンス!福岡が主催するイベントで、Rくんと会う機会があった。代表として舞台上であいさつするRくんを見て、あらためて立派になったものだ、と感心する。イベント終了後、Rくんと立ち話をするなかで、Kくんの話題があがった。簡単にいまの状況を説明する。
 すると、Rくんがこう言ってくれた。
「あいつが、どう思っているのか知らないけど、帰ってきたいんだったら、俺、受け入れますよ」「その日、仕事を休んで裁判所に行って、情状証人やりましょうか」
 一度、不義理をして辞めたKくんを快く引き受けてくれ、情状証人として2週間後に迫った他県での公判期日に出廷してくれるというRくん。これまでやってきたことは、無駄ではなかったのだな、と確信する。
 さっそく国選弁護人とRくんをつなぐ。法廷において、情状証人として雇用を約束してくれたおかげだろう、奇跡的に執行猶予がついて、Kくんは、社会復帰することができ、Rくんのもとで働くことになった。
◆ その後のKくん
 本来であれば、ここらへんで話を終わらせるほうがキレイなのだが、現実はそう甘くない。Kくんは、またしてもRくんのところでトラブルを起こし、しばらくの間、消息をくらますことになった。
 それから数か月後、ぼくが前にKくんを紹介した雇用主のひとりH社長から、連絡があった。
「Kくん、いまうちに来て元気に働いてますよ。だいぶ身体もできてきましたね。知名先生にはずいぶん迷惑をかけたみたいなので、直接、謝りに行け、とはいっているんですが、もう少し時間がかかるみたいです」
 別に謝らなくてもいい。元気に生きているなら何より、である。
 それから1カ月ほどして、Kくんから直接電話をもらった。彼女ができたので、一緒に事務所に連れていきたい、という。その彼女も訳ありなので、できれば仕事を紹介してほしい、とも頼まれた。もちろん、断る理由はない。
 彼女は、Kくんより若干年上でハキハキとものを言うひとだったので、ちょっと安心した。Kくんには年下より、ひっぱってくれる年上のほうがあうのではないか、と思っていたのだ。
「こいつすぐいじけるけど、見放さないであげてくださいね」とぼくがいうと、彼女は「わかっています!」と笑顔で答えた。ちゃんと、Kくんを理解してくれているようだ。
この2人がずっとうまくいくかはわからない。でも、家族に恵まれず、愛情に恵まれなかったKくんには、いまこの彼女が必要なのだろうと、思う。
 就労支援事業者機構の担当者ともつないで、彼女にも就労支援をすることにした。
◆ なぜ就労支援を続けるのか
 よく他の弁護士や一般の方から「そんなに何度も裏切られて、よく面倒見切れますね」などと言われたりする。しかし、友人であり、非行少年をこれまで180人以上雇用してきたガソリンスタンドの経営者・野口石油の野口義弘さんは、もっともっと大変な裏切りにあいつつも、雇用をつづけている。それに比べれば、ぼくがやっていることなんて、たいしたことではないのである。
 もし、裏切られたとき、関係を切ってしまえば、その子との物語はバッドエンドが確定してしまう。でも、諦めず、支援を続ければ、いつかハッピーエンドが訪れる可能性は残る。
 ぼくも野口義弘さんもハッピーエンドが見たいから、かかわりをやめられないのだろう。
 気づけば、15歳からかかわってきたKくんもいつのまにか21歳。Rくんが落ち着いた年頃になっていた。そろそろKくんがハッピーエンドを見せてくれる日も近いんじゃないか、と期待している。
以上
 

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