『連鎖していく就労支援』①
◆ 大人びた少年
もう13年ほど前になる。当時14歳だった少年Rくんは、半年ほど、家に帰っておらず、ぐ犯で捕まっていた。
Rくんは大人びた様子で、少年らしさはあまりないものの、独特の感性をもっており、頭の回転も速かった。だから、面会するのも楽しかった。経験でいうと、この状況で、あえてぐ犯で検挙したということは、施設送致の可能性が高い。結局、Rくんは、少年院送致となってしまった。
少年院から、年賀状が届いた。
「大変お世話になりました。なかで本を読んだり、勉強したり、頑張っています。早くでて会えるのが楽しみです」。
大人びたRくんの印象からはほど遠い少年らしい文面だった。出院後に、一度、会う約束をした気がするが、当日、ドタキャンされたりして、以後、しばらくの間、連絡は途絶えることになった。
◆ 息子が消えました
それから2年ほどたったある日。事務所の電話が鳴った。Rくんの母親からだった。
「息子が消えました!職場の人と揉めていたらしくて」
Rくんが最後に送ってきたメールには、「もうだめだ。俺、消される」とあり、以後、連絡がつかないらしい。3年も前に、一度付添人をつとめただけの弁護士に連絡をとってくるという選択が正しいかは別として、緊急事態であることは理解できた。
Rくんの携帯番号を聞いて、ショートメールを入れて返信を待つしかない。
「どういう状況か、わからないけど、いままでの経験上、解決できない問題なんてほとんどないから、一度、話を聞かせてよ」
夜中に携帯電話がなり、メールがかえってきた。さっそく翌日会うことにする。
「いま、どこにいるの?」とメールすると、「窓から電車がいっぱい並んでいるのが見えます。あと、川が見えますね」とヒントをくれた。
なるほど。操車場があって、川もある場所というと限られてくるな、と思い、地図を見まわしながらしばらく、場所を推理してみたが、ふと思い直す。たぶん誘拐されているわけではいだろう。探偵ごっこをやっている場合ではないだろう。
「どうせ友だちの家に転がり込んでいるのだろうから、友だちにマンションの名前を聞いて、教えてよ」
無事、居場所を確認することができた。
◆ 就労支援
”隠れ家”の近くまでいって、Rくんを呼び出した。合流して、とりあえずファミレスに入る。
「逃げている間、ずっとご飯食べる気がしなくて」
Rくんらしくないくらい、がっついて食べていたので、よほどお腹がすいていたのだろう。
当時、Rくんが働いていた建設会社は、あまり素行の良くない人も出入りするところだったそうで、金貸しをやっている先輩もいた。Rくんは、知人がお金に困っているときにその先輩を紹介してしまい、知人が返済ができなくなって、姿を消してしまったせいで、保証人であるかのように返済を迫られていたらしい。
「福岡だとどこの現場でも先輩たちの知り合いがいるので、もうぼくは行くところがありません」
そんなに福岡も狭くはない、と思うのだが、Rくんがそう思い込んでいる以上、仕方がない。
「じゃあ、県外行こうか?」
「えっ、そんなことできるのですか?」。少年は驚いたようすだった。
ちょうどそのころ、ぼくは、福岡県就労支援事業者機構とかかわりはじめていろいろな雇用主さんと出会っており、なかには県外に多くの現場をもつ会社もあった。
さっそく雇用主さんに電話する。
「社長、遠くの現場、持っていましたよね。はい、17歳の少年です。行くところがないみたいで・・・」
5分ほどの電話で、仕事が決まった。
「じゃあ、明日、午前6時に博多駅集合で!」
実際に、Rくんは翌日の朝、博多駅で雇用主と合流し、そのまま、遠方の現場に旅立っていった。
数日して、Rくんから電話をもらった。
「いま、山の中の現場でソーラーパネルを取り付ける仕事をしているんですけど、こっちは、静かで星もきれいです。いま、ぼくのこころは穏やかです」
◆ ふたたび就労支援
それから1年以上たったころ、ふたたび、Rくんから連絡をもらった。いろいろあって前に紹介した仕事はやめたそうで、また仕事を紹介してほしい、という。
ちょうど、このころ知り合いになった電気工事の社長が、非行少年を雇ってみたい、といっていたのを思い出し、双方の意見を聞いて、そこで働いてもらうことにした。
このころ、セカンドチャンス!福岡が主催のバーベキューに、Rくんと一緒に参加したことがあった。セカンドチャンス!は、少年院経験者が後輩たちの面倒を見る自助グループだ。福岡の代表者らとは、ぼくも交流があり、たまにイベントに呼ばれることがあった。Rくんは、職場で一緒に働いている同世代の子も連れてきており、仕事も順調に行っているように見えた。
しかし、それからしばらくすると、Rくんは、トラブルを起こして辞めてしまった、と電気工事の社長から報告を受けた。とりあえず、社長と酒を飲む。Rくんのかわりに謝りつつ、愚痴を聞きつつ、またこれに懲りずに非行少年を雇ってくださいね、と伝えておいた。
◆ 三度目の正直
「いま、追い込まれていて、先生しか頼る人がいません。何度も迷惑をかけて申し訳ありませんが、もう一度だけ仕事を紹介してもらえないでしょうか」
それから1年くらいして手紙がきた。あらたまった内容に驚いたが、頼られる以上、もちろん、断る理由はない。
いつもお世話になっている雇用主H社長に連絡をして、一緒に事務所まで行って、雇ってもらえるようお願いをした。これまでの職歴についても、あらかた説明したが、「まあ、若いうちはそういうものでしょう。もう身体もできてきているし、経験もあるみたいだし、うちにくれば大丈夫じゃないですか。」と笑顔で受け入れてくれた。
気づくとRくんは、もう19歳になっていた。
◆ 支援される側から支援する側へ
少年と再会したのは2年後、非行と向き合う親たちの会(ははこぐさの会)のイベントだった。ぼくが司会をして、元非行少年らに話を聞く、という構成になっていた。Rくんは、親方としてコーキングの仕事をやっており、近いうちに法人化するつもりだということだった。2年ほどの間にずいぶん成長したものだ、と感慨深かった。
しかし、それ以上に嬉しかったのは、セカンドチャンス!福岡の3代目の代表に就任することになったということだった。ぼくと連絡が途絶えた間も、セカンドチャンス!福岡とは連絡を取りつづけていたらしく、歴代の代表からの評価も高かったらしい。
いつの間にかRくんも、21歳。散々手を焼かせてきた元少年が、支援される側から、支援する側になり、その代表となる。こういうことがあると、これまでやってきたことは、無駄ではなかったかもしれない、とちょっとだけ報われた気がした。
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