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『野口義弘物語』②~ある少女との出会い

※この物語は、野口義弘さんから聞き取りしたものを、野口さんの一人称で、文章化したものです。
<ある少女との出会い>

1 いい子がいるんだけど・・・
 これまで私は、多くの少年たちを雇ってきました。そのきっかけは、ある少女との出会いにありました。
 1990年(平成2年)のことです。当時、私は、北九州市内に9店舗のガソリンスタンドをかまえる会社の営業部長という肩書をもらっており、実質的には社長に次ぐ、ナンバー2の役割を任せられていました。
 ある日、妻が「とても、いい子がいるんだけれど、あなたの働いている会社でやとってもらえない?」と言ってきました。
 このころ、妻は、北九州市の臨時職員として、少年相談センターの相談員をやっていました。そこで、家庭や非行の悩みをかかえる人たちから相談を受けていたのです。
 妻が雇ってほしい、という少女の名は、ハルコ(仮名)。夜間徘徊やシンナーで何度も、補導されたことのある女の子でした。非行は、徐々にエスカレートしていきました。当時、付き合っていた同世代の彼氏がハルコの父親の車を無断で持ち出し、2人はシンナーを吸って暴走。派手な自損事故を起こしてしまいました。
 幸い大きなけがにはならなかったものの、家庭裁判所で審判を受け、ハルコは、保護観察となったばかりだったのでした。
2 少年補導員
 それまでの私も、非行少年になじみがまったくなかったわけではありませんでした。1982年(昭和57年)から、小倉南警察署の少年補導員をやっていましたので、月2~3回は、夜の街に出て、非行少年たちに声をかけていました。
 ただ、そのころの私にとって、非行少年は、理解できない存在であり、おそろしいものでした。見回りも、地域のボランティアとして参加しているものの、正直言って、それほど乗り気がするものではありませんでした。
 深夜徘徊をしている少年に声をかけると「なんや、おじさん、警察か?。親にも注意されたことないのに、なんで知らんおじさんにそんなこといわれんといかんとか。」などと乱暴な言葉が帰ってきました。警察からも、「夜の少年たちはシンナーを吸っていて危ないから、2人一組で動くようにして、声をかけるときもあんまり近寄らないほうがいい。」などとアドバイスを受けていました。
 そのころの私にとって、非行少年は近づきがたい存在でした。
3 赤い髪の少女
 非行少年に対して、こんな認識しか持っていませんでしたから、妻が非行少女を雇ってほしいと頼んだときも、それほど乗り気ではありませんでした。ただ、妻があまりに熱心に頼むものですから、とりあえず面接をすることになりました。
 面接の日、はじめてハルコと向き合ったとき、それはそれは、驚きました。
 まだ、茶髪も珍しかったころでしたが、髪は金髪ですらなく、真っ赤。マネキュアも真っ赤という派手ないでたちで、とても16歳には見えませんでした。私は、不安もありましたが、髪を染めて、マネキュアを落として、きちんとした格好ができることを条件に雇うことにしました。
 意外にもハルコは素直にいうことを聞いてくれ、ガソリンスタンドで働くことになりました。本当はいけないことなんでしょうが、会社には、お得意先のお嬢さん、と嘘をついて特別に雇用することを了承してもらいました。
 もともと、裕福な家庭に生まれ育ったハルコが、髪を黒く染めて、化粧を落とすと、まるで悪い魔法が解けたように、見た目は上品なお嬢さんに生まれ変わっていました。職場でも、笑顔で大きな声を出して、積極的に接客に臨んでおり、数日前のあの不良少女がこうまで変わるのか、と驚いたものでした。
 その姿をみたとき、私はこれまで、子どもたちを外見だけで判断してこわがっていたのではないか、と反省したのでした。
4 外見で判断しない
 犬は、犬を怖がる人に吠えます。犬にとって、自分たちを怖がっている人たちの存在が恐ろしいのです。だから吠える。少年たちも自分たちを怖がっている人たちには敏感に反応します。こちらが怖がれば怖がるほど、非行少年たちは、攻撃的になってきます。
 今、思えば、最初に警察補導員をやっていたとき、少年たちを恐れて、警察という権威を傘に来て押さえつけようとする自分がいました。そんな態度では、少年たちが反発するのは、当然のことです。いま、思えば、そのとき出会った少年たちには悪いことをしたな、と思うのです。
 こんな経験もあって、今は、少年たちを外見だけで判断しないでおこう、と心に決めています。
5 非行の原因
 元気に働いていたハルコですが、もちろん問題がなかったわけではありません。朝、出社してこなかったり、勤務時間中に居なくなることも度々ありました。
 それまで夜間徘徊をしていた生活習慣が、そんなに簡単にあらたまるものではありません。私は、ハルコが遅刻するたびに、自宅まで迎えに行くようになりました。
 ハルコの自宅は、大きな新築の一戸建てで、2階にあるハルコの部屋には、電話やテレビ、洗面所まで備え付けられており、なかから鍵がかけられるようになっていました。両親が歳をとってからできた子どもだということもあって、ハルコはなんでも欲しいものを与えられ、甘やかされて育っていたのでした。
 私が、迎えに行っても、ハルコは、部屋に鍵をかけて立てこもり、ドアを開けてくれないときもありました。そんなとき、ハルコのお母さんは、ただただ、うろたえるばかりでした。
 その様子を見たとき、ハルコの両親は、ハルコを猫かわいがりするばかりで、これまで本気でぶつかり合ったことがなかったんだろう、と思いました。
6 親のおもちゃにされた子
 そんなことがありつつも、なんとか仕事を続けていたハルコでしたが、ある日の仕事中、青い顔をしてうずくまってしまいました。聞けば、しばらく生理がないということでした。私は、これは妊娠したに違いない、と思いました。
 とりあえず、ご両親に連絡しないといけない、と伝えると、ハルコが「このことをお母さんにいったら、自殺するから。」と強く拒みます。本当に困ったときに実の母を頼れないところに、この母子の複雑な関係が透けて見えました。
 結局、母親の姉にあたる伯母さんであればハルコも信頼できる、というので、連絡をとり、ハルコを伯母のもとへ連れて行きました。ハルコの伯母さんは、ハルコのことをこれまでもずっと見守ってくれていた数少ない理解者だったのでしょう。
 伯母さんは、ハルコを抱きしめ泣きながら「この子は、両親の玩具にされたんです。」と泣きながら話をしてくれました。
 非行をおかした少年も、みんな本当はいい子なんです。非行をおかす子は、居場所がなくて、寂しい思いをしている子なんです。両親もそろっていて経済的にもなに不自由なく暮らしていても、自分の居場所がなくて、寂しい思いをしている子はたくさんいます。そんな子どもたちが欲しているのは、目線をあわせて、きちんと話を聞いてくれること。私たち、大人はそんな子どもたちが大勢いることに気づかないといけません。
 結局、伯母さんが親身になって話を聞いた結果、ハルコは中絶という決断をすることになりました。少女にとって、中絶という選択が、どれだけつらいものか。それを考えると、私はハルコが立ち直ることができるか、心配になりました。
7 立ち直ったハルコ
しかし、私の心配は、いい方に裏切られました。1週間ほど、たったある日、ハルコから電話がありました。
 「また、働いてもいいかなぁ。」
 私はハルコが困難をのり越えたことを感じ、うれしく思い、もちろん、二つ返事で彼女を受け入れました。
 それからのハルコは、つらい出来事を忘れるためなのか、それまで以上に仕事に打ち込むようになりました。当時の会社では、物品販売のキャンペーンがありましたが、なんとハルコは、全店舗を通じて、販売実績1位を獲得するまでになりました。
 そのような経験を通じて、自分の仕事や笑顔に自信もついたのでしょう。その後のハルコの生活は、安定していきました。
 ハルコは、その後、野口石油を卒業して、素敵な男性と出会い、今は結婚して幸せに暮らしています。
8 どんな大人に出会うか
 子どもたちは、生まれてくる環境を選べません。育つ環境を選べません。
 一見、幸せそうに見える家庭でも、実は、子どもたちは、ぽっかりと心に穴が開いた状態で、寂しくたたずんでいるときもあるのです。そんな子どもたちの話を聞いてあげる、一緒に泣いてあげる、できることをちょっとだけしてあげる。それだけでも、子どもたちの人生に大きな影響を与えることができるときがあるのです。
 子どもたちがどう育つかは、どんな大人に出会うか、で大きく変わります。そして、私もあなたも、そんな大人の一人であり、子どもたちに影響を与えることができる可能性を持っているのです。
 そのことをみんなに忘れないでいてもらいたい、と思うのです。


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