【「家栽の人」とぼく⑤~家裁所長へ送ったイラスト】
数年前、少年の重大事件の裁判員裁判を担当したり、民事事件であまり筋のよろしくない弁護士との交渉が続く中で、「法律家ってなんだろうか」と悩むようになった。そんなある日の早朝、事務所に行くと、「家事調停官」募集の連絡が来ていた。
「家事調停官」とは、離婚や遺産分割事件の調停において、裁判官が担当する役割を週に1回のペースで弁護士が担う制度だ。その日のぼくは、なぜか深く考えることもなく、「家事調停官」に応募する、という決断をした。弁護士としての行き詰まりを打破するための別の視点が欲しかったのかもしれない。ただ、この決断のおおもとには、「家栽の人」の存在や、毛利甚八さんとの出会いがあったことは間違いない。
その後、「家事調停官」になるには、九州弁護士会連合会の推薦が必要だったり、家裁所長の面接があると聞いて、正直、大変なことになったなと思ったが、なんとかそこらへんはクリアして、「家事調停官」として週1回のペースで家庭裁判所で働くことになって、現在に至っている。
子どものころ、読んだときは、少年事件のイメージが強かった「家栽の人」だが、いま読み直してみると、離婚や遺産分割についても具体的かつ感動的な話が多い。ぼくは、改めて「家栽の人」を読み直しながら、「調停官」として働いている。日々、悩みながら、調停実務を経験することにより、それまでとは「別の視点」を手に入れつつあるようにも感じられる。
調停官として勤務するようになって、半年ほどたったある日、福岡家庭裁判所に新しい所長が赴任してこられた。女性の裁判官で、家庭裁判所勤務が長く、家裁に対し深い思い入れをいだいている方だった。たまたま、その所長の前で、家「栽」マンホールの話をする機会があった。
「複数あるのだったら、家庭裁判所にもひとつ飾らせてもらいたい」
所長の言葉に驚いたが、うれしくもあった。所長も「家栽の人」の大ファンであり、旧福岡家裁にも勤務したことがあるという。なにより、一時期、確かに存在した「家栽の人」世代による心温まるような家裁運営を少しでも後世に伝えていきたい、という気持ちが共通していた。
そういうことであれば、もちろん喜んで、協力させてもらいたい。それだけでなく、魚戸さんには、もう一つイラストを描いていただいて、私から家庭裁判所に寄贈させてもらいたい、と考えるようになった。
家庭裁判所の所長室に、「家栽」のマンホールとイラストが飾られることになったら、それはどれほど奇跡的であり、素敵なことだろうか。そのことが、みんなが「家栽の人」を思い出すきっかけにもなるだろうし、「家栽の人」の精神が忘れ去られずに、法曹界に脈々と生き続ける理由になるのではないか、と思う。そうなれば、きっと毛利甚八さんも喜んでくれるに違いない。