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『野口義弘物語』①~まえがき
■ まえがき
「いやぁ、本当に“神”だよね。どうして野口さんはあんなことができるんだろうね。」
毛利甚八さんは、焼酎の水割りを口にしつつ、ため息交じりでつぶやいた。
毛利さんは、家庭裁判所を舞台にした漫画「家栽の人」の原作を書いた方で、われわれ世代の少年事件関係者(弁護士、裁判官、調査官等々)にとっては、それこそ”神”のような人だ。その毛利さんが野口さんを取材したあとの感想が、これだった。
毛利さんは続ける。
「野口さんは、別に不良少年だったわけじゃないよね。世の中の支援者には、元不良少年だった人も多いし、それはそれで、納得がいく。でも、そうでない野口さんがなぜあんなことができるんだろうねぇ。」
毛利さんが、食事の途中に箸を止め、目の前に出てきた刺し盛りや焼き鳥をひとつひとつ一眼レフのカメラで撮影したりするので、話がときどき中断する。当時、連載していた料理と町おこしをテーマにした「人情小料理のぞみ」の資料になるのだという。刺身の盛り合わせの造形の美しさを褒められたお店の大将は「ツマや大葉をつかって、山水画のように立体的に盛るのがコツなんですよ」と得意げに説明をしている。
「僕があったはじめのころ、聞いた話だと、なんでも若いころは相当苦労したみたいですけどね」「なるほど、そうか、そのあたりに秘密があるのかもしれないねぇ・・・」毛利さんはそういって、焼酎を口に運ぶとしばらく黙っていた。
その後、雑誌G²に掲載された「ドキュメント更生 非行少年100人を雇った男の物語」には、次のような文章が書かれていた。
野口義弘は神か?
「凄すぎる」
ため息が出た。
「この人は神様なのだろうか?」
信じられないほど強く見えるから、そう思いたいのである。
野口さんを神だと思うことで、
野口さんのようにできない自分を免責したいのだ。」
記事には、野口義弘さんが若いころ、経済的にも、精神的にも苦労した話も書かれていたが、ページの都合もあって、それ以上の踏み込みはなかった。野口義弘さんの凄さはわかっても、なぜあんなことができるのか、という「謎」までは解き明かされてはいなかった。
それからしばらくすると、毛利さんと連絡が取れない時期が続いた。その間に、実は、毛利さんが末期のガンにおかされていたのだ、ということを知ったのは、ネットにでていた最後の著書である「家栽の人から君へ」の紹介文句であった。「少年法への無知、無理解が、ピント外れの『少年法叩き』を生む日本社会の現状を嘆く著者に、二〇一四年夏、末期の食道がんが見つかる。すでに肝臓、リンパ節、肺にも転移していた・・・・」
もし、毛利さんにもう少し時間があったならば、たぶんもっと詳しく野口義弘さんに取材をして、”神”の謎を少しでも解いてくれたのではないか。
普段は、訴状とか準備書面という、つまらない話を正確に分かりやすく書くことしかしていない私であるが、さいわい野口義弘さんとは、10年来の付き合いなので、私だからこそ聞き出せることもあるだろう。
そう思い立って、改めて野口義弘さんやその周囲のひとたちに話を聞くことにした。