
『おばあちゃんがくれた石』
■ 昔ながらの床屋
司法試験受験生時代、髪を切りに行くのがキライだった。 「お仕事はなにをされているのですか?」という会話がキツイ。 「わぁ、司法試験をやってられるんですか!すごいですね!」という会話になると、よりキツさはます。 誰でも司法試験受験生にはなれるが、誰もが合格できるわけでは無い。スゴイのは、合格する一握りのひとたちだけだということを誰よりも、実感していたからだ。 そんな受験生時代のある日、大学の近くの通り沿いの古びた床屋に入ってみた。建物は、木造の古い一軒家で、二階が十強になっているのだろう。赤・青・白のクルクルが回っている、そんな昔ながらの床屋だった。
■ 床屋のおばあちゃん
中に入ると、昔ながらのカットモデルの写真が飾られており、独特の石鹸のにおいがした。その床屋は、もう70歳を優に超えるおばあちゃんが一人で切り盛りをしていた。手際よく、それでいて丁寧に、顔ぞりまでやってくれた。普段聞きなれた 「お仕事はなにをされているのですか?」という質問もなく、お店のなかは、ゆったりと時間が流れていた。それが、心地よかった。 帰りに際に、おばあちゃんは、紙袋を取り出して、お菓子を詰めてくれた。冷蔵ケースに入っていたビン入りのラムネまでくれた。昔の田舎では、おばあちゃんの家にいったり、回覧板を届けに近所に家に行ったときは、こうしてお菓子をもらったものだった、と懐かしく思い出した。 それ以来、その居心地の良さにひかれて、ぼくはその床屋に通うようになった。
■ 握り石
司法試験を控えたある日、伸びすぎている髪を整え、すっきりしてから、試験を迎えようと、ぼくはまた、あの床屋に行った。おばあちゃんはいつものように、静かに優しく迎え入れてくれた。
普段、たわいのない会話しかしたことがなかったのに、この日は自分から、おばあちゃんに話かけた。
「大事な試験を控えていて、その前に、ここに来ておきたかったんです。」。あれほど、床屋での会話がキライだったのに、なぜかこのときは、自分から話したくなった。
「ああ、やっぱり。なにか、自分の目標をもって、頑張ってられるんだろうと思っていました。」とおばあちゃんが行ってくれた。それまでの間で、おばあちゃんの人柄がわかっていたので、口先だけのお世辞には聞こえず、うれしく、頼もしかった。
散髪が終わったら、おばあさんは、「ちょっと、待っててくださいね」といって、2階へ上がっていった。しばらくまったあと、おばあちゃんは、包み紙にくるまれたものを手渡してくれた。 「これは、握り石といって、きついときでもこれを手の中に握っていれば、頑張れるというものなんです。ある神社で買って、必要なときに孫に渡そうと思っていたんだけど・・あなたにこれを差し上げます」 お孫さんのために持っていた大切な石。それをくれるという気持ちがうれしかった。 ぼくは、また大盛のお菓子をもたされて、家路についた。試験が近いのに、なぜか足取りはかろやかっただった。
■ 久しぶりの再会
司法試験に受かったぼくは、あわただしくそれまえの住居を離れることになった。研修を終え、弁護士として他県で活動を開始してから、しばらくしてから、大学のころのともだちと、大学近くで飲むことになった。 ぼくは、その日は早めに近くまで行き、ひさしぶりにあの床屋を訪れた。 司法試験に合格したこと、無事、事務所も決まり、弁護士として活動していることを報告すると、自分の孫のことのように喜んでくれた。 「数日前ね、夢にあなたがでてきてね。いま、どうしてられるのか、考えていたところだったんです。不思議なものですね。」 おばあちゃんは、わかりきったようなおべっかを使うような人ではない。だからこそ、その言葉が身に染みた。 おばあちゃんは、また大量のお菓子を紙袋に入れて持たせてくれた。結局、この日がおばあちゃんとは最期の出会いになってしまった。だからこそ、この日、あの床屋を尋ねてよかったと思うし、いまでも、この日のことは強く印象に残っている。 あれから20年以上が経ったが、おばあちゃんがくれた握り石は、いまのぼくの執務室の机のうえのおかれている。