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『新郎の恩人』

 数年前に私が担当した元少年から結婚式に招待された。それまで30件弱の少年事件をやってきていたが、このような体験は、これがはじめてだった。

■ 奇跡的な少年審判
 その少年の事件は、強く印象に残っている。調査官の意見も少年院送致だったし、事案からしても、少年院送致もやむをえないといえた。しかし、少年の反省が十分に深まっており、少年や保護者、雇用予定者の審判廷での発言が驚くほど完璧だったこともあり、試験観察すら経ることもなく、保護観察となった。調査官が収容意見を変えないなか、裁判官も思い切った判断をしてくれた。少年事件ではたまにこういう奇跡が起こる。
 だから、やめられないのだ。

■ 再逮捕
 審判から数ヵ月後、共犯少年がつかまったことから、かつての引ったくり事件で逮捕状が出た。それを知った少年は、「次につかまったら絶対に少年院に送られる。」と勝ってに思い込み、行方をくらましてしまった。母親から頼まれて、少年に粘り強く連絡を入れた。
 ようやく通じた電話で「お母さんが泣いてるぞ。」などと人質をとって立て篭もった犯人を説得するような台詞をいいながら、少年院に行く可能性は低いこと、仮に少年院に行くことになったとしても自分がやったことの責任はきちんととるべきであることを納得してもらい、警察署まで同行したこともあった。弁護士が出頭に同行してきた様子をみて、警察官が「お前、いい弁護士さんにあたったな」と少年にかたりかけていた。
 結局、その件は不開始で終わった。

■ アポなしの訪問
 最近、連絡も途絶えていたところ、突然、事務所に結婚式の招待状をもって元・少年が現れた。アポなしで来るところが、まだまだ子どもだと思ったが、すでに彼女は妊娠しており、秋には父親になるということだった。連絡が途絶えていた間の話を聞きながら、審判後、いろいろと苦しみながらも更正の道を歩んでくれていることを確認し、うれしく思った。もちろん、式には出席させてもらうことにした。

■ 親族の少ない結婚式
 結婚式の新郎側の出席者のほとんどは、少年の友だちだった。「先生、あのとき、事務所に行ったの覚えてます?」と声をかけてくる子もいた。なにか少年のためにできることをやりたい、と嘆願書を集めてくれた友だちだった。友だちには恵まられた少年だった。
 少年の父親は、外国人の船乗りで、少年が幼いころに亡くなったそうだ。そのため、父親の親族の姿はなかった。また、母親によると、少年がグレたころから、母親の親族とも折り折り合いが悪くなったらしく、母親の親族もほとんどいなかった。
 そのため、披露宴では、寂しそうにしている母親の話し相手をしながら過ごしていた。
 そもそも、少年が弁護士を結婚式に招待するというのも微妙である。出席者から「どういう関係ですか?」と聞かれても、どこまで答えていいのか、わからない。少年が招待状をもってきたときにも、その点を確認した。少年は「相手の親にも全部、話をしているので、大丈夫です。」とはいっていたものの、事情を知らない人もいるだろうから、目立たないほうがいいだろうと思っていた。
 少年が更生し、結婚して、父親になろうとしている。その様子を直に見れただけで、とても幸せだった。

■ 新郎によるあいさつ 
 式は順調に進み、新婦が母親への手紙を読み上げた。新婦の母親は、娘のひとことひとことに反応し、涙を流していた。引き続き、新婦の父親が来場者へ御礼の挨拶を行った。
 この流れからすれば、新婦の父親が挨拶をして締めるところなのだろうが、新郎の父親はいない。そこで、新郎本人が最後の挨拶を行った。
 少年は、できちゃった婚を了承してくれた新婦の両親に感謝の気持ちを述べた。新婦の父親は、ちょっとくやしそうに涙していたのが印象的だった。
 次に、少年は、自分の母親に対し御礼を述べた。
「おふくろ、これまで俺がグレてしまって、迷惑ばかりかけてごめん。これからは、幸せにするから。」少年の母親は、その言葉に泣き崩れていた。
 立派な挨拶ができるようになったんだと感心していたところ、「最後に」と少年は続けた。「これまで僕を見捨てずに見守ってくれた知名先生ありがとうございました。」。気付くと、おそらく事情はよくわかっていないと思われる出席者の方々が、僕のほうを向いて、拍手していた。
とても照れくさい。今日は目立たないほうがいいと思っていたのに。それに、いくらなんでも、最後に感謝の言葉を贈られるほどのことはしてないと思う。しかし、そうまでして、少年が僕に感謝の気持ちを伝えてくれたことは、正直とてもうれしかった。
 あとで、当日の席次表を見直してみると、ぼくの席の肩書は「新郎恩人」と書かれていた。自分の人生において「恩人」と呼ばれる日が来るとは思っていなかったが、まあ、悪くない響きだと思った。

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