『たった1年』
1 教師への暴行
中学2年生だった少年は、暴行で送致されていた。学校の先生の胸倉をつかみ、何度も蹴った。普段から、構内で暴れ、他の生徒に怪我を負わせたこともあったという。
幸い被害者が体育教師であるうえ、現役アスリートだったこともあって、目立った怪我はなかったが、学校が普段から手を焼いていることは明らかだった。
2 複雑な家庭
少年の両親は離婚しており、母親は女手ひとつで4人の子どもを育てていた。ただ、精神的に不安定なところがあり、虐待の疑いがあるということで、少年も一時、児童相談所に保護されるようなこともあった。
ぼくから電話を入れても「余計なことはしないでくれ。」と言われ、結局、母親とは審判当日まで直接、会うことができないような状況であった。
そんな母親が鑑別所に面会に来てくれるはずもない。少年に「お母さん以外で誰に会いに来てほしい?」と尋ねると、意外なことに被害者である教師の名前をあげた。実は、被害者である教師は、ほとんどみんなが匙を投げた状態の少年を最後まで、見捨てずかかわり続けてくれて一人だった。
父親のいない少年にとっては、この教師が数少ない自分にかまってくれる大人の男性だったのだろう。もしかしたら、「どこまで自分にかまってくれるか」を試すような行動がエスカレートしたのが今回の事件だったのかもしれない。
3 鑑別所での変化
環境が与える影響が大きかったのであろう。家庭から切り離され、鑑別所に入った少年は徐々に落ちついて言った。最初は、「先に掴んだ先生のほうが悪い」「警察に売られた」など学校への不満ばかり述べていたが、時間が経つにつれて、反省の気持ちを述べるようになった。
また、普段、絶対に本なんて読まなかったであろう少年が、4週間の間に、活字の本を10冊も読み切ったのも意外だった。少年にはまだ、未開発の能力が眠っているのだ。
4 荒れた審判廷
審判では、少年が鑑別所での生活で変化し、かなり落ち着いたこと、ある程度、反省を深めたことは伝えられたと思う。
ただ、少年のおかれた家庭環境を考えると、そのまま家に戻らせる、という選択肢は厳しかった。しかし、中学2年生を親元から引き離して暮させる、というのは難しい。今くらい工藤良さんと仲が良かったら、田川ふれ愛義塾という選択も考えられたが、当時はまだ、そこまでの関係を築けていなかったし、母親が非協力的な状況では難しかったろう、と思う。
結局、児童自立支援施設送致という結論が下った。
すると、鑑別所での生活でなりをひそめていた少年のキレやすい一面が顔を表した。
「反省して損したー!」などと大声で叫びながら、暴れようとする少年。鑑別所の職員に取り押さえられる。連れていかれるときも壁に頭を打ちつけるほどの暴れっぷりだった。
それを見ていた母親は動転して、気を失い、救急車が出動するまでの騒ぎとなった。
これまで経験したなかでも、もっとも荒れた審判だった。
5 その後の少年
それから2年ほど経過したある日、警察署から電話をもらった。逮捕された少年が僕との面会を希望しているという。
児童自立支援施設を出た少年は、祖母の家と母親宅を行ったり来たりする生活を送っていたが、地元の悪い仲間とつるんでしまい、再非行に至っていた。
こういうとき、施設を出る前に連絡がもらえれば、サポートできたのにと思う。でも、遅すぎることはない。なんとか寮のある職場を紹介して、少年を今の家庭環境、地域環境から引き離したほうがいい、と考え、行動に移ることにした。
6 板前になりたい
例えば、進学というときに「どこの学校でもいいから、入りなさい。」という大人はほとんどいないのに、仕事となると「なんでもいいから、仕事があるだけありがたいと思って、頑張りなさい。」という大人は多い。
でも、少年にも向き不向きがあるし、興味があるなしで仕事を持続できるかどうかは違ってくると思う。だから、100パーセント答えられるわけではないけど、少年には「どんな仕事をしたい?」と尋ねるようにしている。
少年にそのような質問をすると、意外な答えが返ってきた。
「板前になりたい。」
どうも地元の先輩のひとりが料理屋で働いているらしくある日、魚を丸ごと一匹持ち帰ってきて、目の前でさばいてくれたらしい。「あの刺身は美味しかったなぁ」
少年は遠い目をしながら、独特の口調で同じセリフを繰り返した。
まあ、そんなに都合よく雇用先が見つかるかはわからないが、取りあえず探して見よう。
さいわい福岡県就労支援事業者機構とつながりをもったころだったので、早速、事務局長に電話をしてみたところ、「ちょうどいいところがありますよ。」との返事。
30年以上つづく懐石料理の店で座敷もあり、客席数は350もあるという。
「寮はあるので、いつでも受け入れますよ。」
「辞める子も多いけど、きっちりうちで3年くらい働けば、ふぐの免許等とれるんで、一生、食いっぱぐれることはないと思いますよ。」
お店を訪問すると、板長さんはそんな話をしてくれた。
翌日、鑑別所に行って、裁判所への報告用にとった写真を見せると少年は興味を持った様子で、目を輝かせていた。
問題は、気難しい母親の了解を得られるか、だ。前回よりははるかに落ち着いた状態の母親ではあったが心配だ。電話で恐る恐る雇ってくれる予定の店の情報を簡単に伝えた。すると、
「そのお店の名前、聞いたことある。」
「その子の父親と結婚式をしたところですよ。なんか運命的ですね。」
世間は狭いなぁ。とりあえず、そんな偶然もあって、母親の了解も取り付けることができた。
7 審判の日
よい雇用先も見つかり、一瞬、追い風が吹いたような気もしたが、現実はそんなに甘くはなかった。
裁判官は、児童自立支援施設を出た後の少年の行動を問題視して、結局、少年院送致を言い渡した。
少年が雇用主のもとで働けると信じ切っていた母親は、その結論を聞いた瞬間、うつむいて、泣き崩れようとした。
すると、それを見た少年が言った。
「たった1年。たった1年って。すぐ戻ってくる!」
言葉は荒いけれど、少年が伝えたかったことはよくわかった。
「1年ですぐ帰ってくるんだから、泣かないでよ、かあさん」
2年前は、壁に頭をぶつけていた少年がえらい成長じゃないか。
「お店のひとに少年院出てからでも、行っていいか、聞いといてもらえませんか。」と少年は言った。
ぼくは「わかった。いつかお前が作った刺身をたべさせろよな。」と返した。
少年は、一瞬遠い目をしたあといった。
「う~ん。3年後やね。」
もう少年院を出ているはずだが、少年から連絡はない。でも、その後が気になる少年のひとりだ。
もし、連絡が取れたら、「もうすぐあれから3年経つけど、約束覚えてるかい。」といってやりたいところである。