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居場所のない学校から心を救ってくれた人
中学時代、周りの席の男子たちはみんな受験に熱を入れているわけでなく、授業中も全く関係のない話ばかりして怒られていた。もちろん、反省している気配も無かった。彼らがストレスでならなかった。
頑張って勉強して目標にしていた高校に入ることができ、ここには素敵な人がたくさんいるだろうと思っていた。
入学式当日、担任の先生は優しそうな印象で、三十代くらいの女の先生だった。
ただ経験上、この雰囲気の人は見かけだけ良さそうに見えて中身は薄っぺらな人が多かったから、嫌な予感は少ししていた。
この日は、何の問題もなく午前中で終わった。
次の日、初めて電車で登校した。近くの高校の中学の友達と一緒に乗ったけど、慣れなくて駅で迷子になりかけた。
学校に着くと、女子がもう仲良くなって大声で喋っていた。
「そう!分かる、私も絶対落ちたと思った!でもうちは30人全員受かった〜」
「え〜!すごい!」
お世辞にしか聞こえなかったし、だから何だっていうんだよと思った。
ほとんどの人たちはこの日のうちに新しい「友達」を作っていたけど、私は誰にも話しかけなかったし、話しかけられることもなかった。
お昼になってお弁当を食べる。みんな騒ぎながら新しい友達同士机をくっつける。そしてまた朝と同じような話を始める。
やばい、と思った。これがいわゆる「ぼっち」である。
でも、どうしようもなかった。
そのまま友達はできず、入学四日目、授業が始まった。
「毎日この問題集をやりましょう。大学が求めている能力っていうのは、こういう力だからです。みなさんはこれまで中学校のトップでしたが、それはすぐに忘れてください!」
偉そうに、さも当たり前そうに言われた。
大学入試だけを考えて、3年間を過ごすんですか?高校で頭を切り替えて頑張るのはもちろん大切だけど、これまでの努力は全否定ですか?
不信感が植え付けられた。
合格した直後、この高校は自称進学校で課題の数が多すぎるという噂を聞いていたが、まさかと思っていた。
でも、それは本当だったんだと初めて分かった。想像と現実、クラスメイトも学校の方針もギャップはかなり大きかった。
私にはもう一つ期待していたものがあった。
部活動だ。
中学校では美術部に入っていた。結果が出せないわけでは、なかった。
しかし、締め切りが近づくと先生に急かされてイライラし、喋りながら活動している人たちもいて、更にイライラしていた。
高校は絶対に美術部なんて入ってやるか、と思っていた。
高校で選んだ部活は、漫画「ちはやふる」で知られる、かるた部。百人一首は全部覚えていたし、競技の雰囲気が好きだからやってみたいと思った。この高校を無理して選んだのは、かるた部があるからでもあった。
先輩は、丁寧に教えてくれた。フレンドリーに話しかけてくれて、クラスの雰囲気とは違うものがあった。同級生も、みんな優しかった。勉強勉強と言われて嫌になるといった話も、部活でならできた。
しかし、ほとんどの部員は、中学時代運動部だった。部活はレギュラー争い、人より強くなりたい、という雰囲気には慣れているようだった。
美術部の私はというと、人の作品を見ると比べて落ち込んでしまうから、他の部員の作品は、製作中は見ないようにしていた。
かるたは対人競技だ。何がなんでも比べなければいけない。他の人の強さを、知りたくなくても知ってしまう。
それに慣れなくて、辛かった。こいつまだこんなに弱いのかよ、と思われているんじゃないかと思うと怖くなり、緊張した。
なかなか、成長できなかった。
そもそも、じっくり考えて突き詰めるのが好きな私は、かるたをやっていても楽しくないことに気づき始めた。
6時に活動を終え、練習の結果が悔しくて、駅までの道のりはかるたのことで頭がいっぱい。その時間は何の意味も感じられなくて、かと言って他のことは考えられなくて、ただただ悲しかった。
家に帰ってもかるたのことを考えてモヤモヤしていて、勉強なんかする余裕は無かった。
両親は私が勉強について行けないんじゃないかということだけ心配していて、かるたが辛いとは言い出せなかった。
家に着くのは8時ごろ。勉強する時間はない。
次の日、容赦無く授業が進む。課題の量もえげつない。私の当時の生活で終わらせられるはずが無かった。
先生からは妙な誇り高さが感じられた。しばしば、この学校の生徒ならこれくらいできて当然、と言われる。これが不快でならなかった。 運の悪いことに、一番不快なのは担任の先生だった。教養🟰人間性のような考え方だ。声を聞くだけで吐き気がするほどだった。
友達がいないのも、学校への不信感もそのままだった。
私が苦しんでいるということは何となく、親には伝わっていたらしい。
苦しみの種はいろいろなものが混ざり合っていたけど、安心できる居場所がないことが、一番辛かったのだと思う。
モヤモヤして辛いまま、夏休みに入った。
家族3人で旅行に行ったり、オープンキャンパスに行ったりした。楽しかった。
あと一週間で学校が始まる、という日だった。
「あと一週間で学校か、、、」
夏休み、久しぶりに自分を押さえ込まずに生活できていた。再び居場所のない学校に通うのか。
嫌だった。
「学校に行きたくない。」
初めて親に相談した。そのあと一緒に、真剣に考えてくれた。
通信制高校に通う、休学してアルバイトをする、など色々考えたが、母があるものを見つけた。
留学。
今より広い世界に出られそう、自分らしくなれそう、と思い、資料請求してもらった。
留学の担当の人は、伝えた悩みをよく分かってくださり、本気で私のことを考えてくださっていたと思う。それが本当に嬉しかった。
丁寧に説明してくださり、留学に行ってみたい、と思った。本当に行く、と決定するまでには色々あったのだが、長くなるので別の記事にしようと思う。
担当の方と、事務的な手続きなどで、よく連絡をとった。それに織り交ぜて、色々な話をした。
文理選択で文系に行きたいので交換留学も視野に入れています、と伝えた時に理由を聞かれ、文章を書くのが好きなので、そんな仕事がしたいんです、と伝えた。すると、いろはさんの文章が好きです、と言ってくださった。とても嬉しかった。noteを書くことを勧めてくださったのもこの方だ。
(始めたことはまだ言ってない)
留学の話が出る前は、心が許せる人が一人もいない孤独感が強く、辛い思いをしていた。
担当の方と連絡を取るようになってからは、学校でスマホを開くと、心にピッタリくるメッセージを送ってくださっていた。それを読んでいると孤独感が消え、大丈夫だ、という安心感に包まれた。
ある方のnoteを勧めていただいた。
岸田奈美さん。
それまで名前を聞いたことは無かったが、少し読んでみると妙な安心感に包まれた。
素敵な人すぎる!!いつも思いやりであふれている人だった。一文一文が、誰の心も傷つけず、溶かしていく。辛い経験をたくさんされてきたからこそ、人を幸せにする方法をよくご存知だな、と思った。
それまでは学校が憂鬱で、電車の中で吐きそうになっていた。しかし、岸田さんのnoteを読みながら乗っていると、安心で恐怖感が消えていった。
色々な方に助けていただきながら、私は元気を取り戻すことができた。
昔の自分を客観視して、振り返ることができるようになってきた。留学というものが、逃げる手段ではなく、成長する手段として考えられるようになってきた。
今回学んだことは、人を愛し、思いやること。
このことだけは絶対に忘れず、生きていきたいと思う。