私の話

人は幾つもの顔を持つと言います。
私、隅田も幾つもの顔を持ちます。
支部長、予備自、民俗学者などなど。
基金やふるさと納税もしているため、名士と揶揄されれ時が稀にあります。
中でも貴重な血が入っているという話はよく出ます。
私の片方のルーツは橘氏
橘氏は代々、朝廷の歴史の保護を司っていた、一族で、平氏や源氏、藤原氏と並ぶ四大貴族の一角で、家祖は敏達天皇と伝わります。
薄家断絶以降は歴史の彼方に消えてしまった一族ですが。
さて、そんな人間が労働者政党にいて良いのかと言われたことがありますが、私としては良いだろうがと思います。
何故ダメなのか、数多の存在がいて、民主主義と自由主義は成り立つものであると私は存じています。
祖先達は国を想い、建国を果たした。
そして、我々末裔に、歴史の保護と建設を託し、自由に生きよ、民を見よと伝え、後は末裔に任せている。
末裔故に私はこの政党にいるんです。
誰が歴史を護り、誰が国を護り、そして誰が民を護るのか。
民というのは、労働者も、勿論含まれます。
私にはそれ、守ることを果たす、最低でも見届ける役目がある。
自身の力がない上でそれを考えたら、託せるのは、中立を貫き多様な存在がいる国民民主しかないと。
そう思ったのです。

貴族の末裔や名家のプライドがない?
いいえ、プライド故の行動です。
偉そぶったって、威張ったってただただつまらないだけ。
今と過去に満足するな、そこから学べ、今と未来をよく見ろ、そうでもしないと、直ぐにつまらなくなる。
小さい頃からよく言われ、今の私の考えの底にあるもの。

過去と未来をよく口にする私を見て、ああ、あの一族の目をして、あの一族らしいことをして似たような事を言うと仰る方がいますが、私はあまちゃんなので、祖先達には及ばす二番煎じなんですよ。
ただ、祖先達から引き継いだ想いを未来へ繋ぐのは私にしかできない事ですから、しっかり果たしたいですし、私はそれくらいしかできない。
私は大の子供が嫌いですが、彼らが苦労して、悲しみ泣く姿はもっと嫌なんです。
ああこの国で良かったと、家族や友人、仲間の為に頑張ろうと笑って明るく燃える様にする為には、私は本気を出します。
弱小者ではありますが、護りたいものは最後まで護りたい。

くたばったらあの世に行きますが、そこで父や祖先達、先に行った方々が、よくやったと言うのか、馬鹿者がと言うかは行かない限りは分かりませんが、私自身はやったよ、と言って去りたいですし、あちらでもネタとして言いたい。

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