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大切な人の、変わらない日常のために

3月まで住んでいた街へ。
里帰りではないけど、そんな感覚の週末でした。

3年住んでたのに今回初めて行ったよ😅

目的は秋祭りと、演劇鑑賞?…いや、スタッフ参加か。

先輩役者(15~20歳の子たち)による演劇✨

人生を変えてくれた街

我ながら「宮古宮古」と連呼し過ぎではと思わなくはありません笑
そんなに宮古愛が強いのなら、何故に宮古を離れたのか。ってね。
でも、自分の人生の中でとても大切な時間を過ごすことが出来た街でした。

GXおじさんの前職は、中小企業金融と事業面のサポートをする仕事でした。
折しも宮古に赴任したのは、新型コロナウイルスに伴う国策…
いわゆる「ゼロゼロ融資」がピークだった年の翌年度。2021年春。
まだマスクを外せず、会食もできず、
不要不急以外の用事で県外に出るなどもってのほか…という、
色々とピリついた空気が漂っていた時期でした。

そんなこんなで赴任して1年は、せっかく初めて来た街だというのに
本当に必要最小限の動き方しかできませんでした。
せっかく引っ越してきた街なのに、
何だか景色がずっと灰色に見えていました
(コロナ以外にも理由はありましたが…)。

今だから思う運命の転換点

灰色の1年を経て、翌2022年。
共通の知り合いを通じて、
某建設業の経営者様と会食する機会をいただきました。
そして少しお酒も入って砕けてきた頃に、
地元の市民劇のスタッフとして参加しないかとお誘いいただきました。

即答でOK。
こういう時は
「ハイ」か「yes」か「やります」か「喜んで」しかありません笑

裏方として活動を開始🍀

初めて地域と繋がることが出来た気がした

振返ってみれば、それまでの18年は
「地域のために~」などと謳って仕事をしていましたが、
地域と特別な繋がりを持って活動したことはなかったと思います。

合流して間もない時期に演出担当の方から
「演劇をやることはきっと役に立つ」と声を掛けていただきました。
え…?一体、演劇の何が役に立つって???
でも結果的にそれは本当のことになりました。

「数字の向こう側」に居る人の存在

ある程度の距離感を保って仕事をする。
当時の仕事柄、多少仕方のない部分だったかもしれません。
変に思い入れ、肩入れなどしてしまったら、
融資の判断が客観的に出来なくなるので。。。

でも本当にそれで良いのか。
これからもずっとその生き方で納得できるのか。
正解も白黒もない問いを繰り返す中で思ったのが…
「やっぱちょっと違うよな」

平たく言うと愛着を持ってしまった

老若男女、みんなそれぞれに違うバックボーン。
色んな思いを持って、自分の時間を投資して一つの作品を作り上げる演劇。
それってすでに「小さな街づくり」なんじゃないかと思いました。

これは「街」だ!

みんなが大切にしている小さな街を、俺も大切にしたい。
そのために、街を支えている地域の生業を守りたい。

「一緒に居たい人たちと一緒に居る」
そのためにどうすることが良いか。そんな感じですかね。

しかし目の前にある厳しい現実の壁は高く

前職の職種柄どうしても目に付いていたのは水産加工業の窮状。
かつて良質な漁場だった三陸の海が危機に見舞われていました。

水揚高が右肩下がり…MGで言えばマーケット版上から材料が逓減している状態…

リーマンショックに震災、そしてコロナ…
度重なる外部要因の波が、
容赦なく地元企業の財務を傷つけていて、
祈るように見守ることしかできないこと、実は少なくありませんでした。

同い年の方が経営する会社が民事再生の手続きに入った時は、
無力感がすごくて、自分のことのように苦しかったです。

「事前対応」の大切さ

「良い時期こそ、新しい事業の柱を、
小さく生んで育てて徐々に太くしていかなければならない」
とある水産加工業の経営者から頂いたメッセージ。
よく覚えています。

後手に回るのではなく、先手先手で動くこと。
バッファは先に消化しない。
1個生産。完了を増やしていく。

その大切さは学んできたつもりでしたが、
でも万一後手に回って、それも周回遅れの状況になってしまった場合、
一体どう立ち向かったら良いのか。
それを深く考えるキッカケを頂きました。

変革は自分の中から起こすもの

誰かが起こしてくれるムーブメントを待つ、というのは、
なかなかもどかしいですよね。
しかし、組織変革はどうしても遅れてやってくるものです。

やるか、やらないか。
それは自分の中から起こさなければなりません。

自分がムーブメントを起こすか、
もしくはすでに起点を作っているリーダーのフォロワーになるか。
日本が変わるスイッチが入っている映像 - 裸の男とリーダーシップ (youtube.com)

そこで私が始めた小さな変革は、
「相手が本当はどうしたいか」に寄り添う活動でした。

水産の一次情報を取りに行ってみたり
水産加工会社での月イチ勉強会をやってみたり(主にwhyの話)
女性起業家支援者を対象に「全体最適」の大切さを共有させていただいたり
信用金庫さんを対象にした勉強会をやってみたり
経営学・会計学の学びの機会を企画してみたり

しかし、
背景には色んなところで学ばせていただいた技術の裏付けはあったにせよ、
見る人によっては、本流から逸れた行動…もっと言えば、
「暴走」しているように見えていたかもしれません😅

本州最東端で始めた小さな小さな挑戦は…
まぁ上手に伝えられずno thank youを頂くことも多かったですが、
あの活動は間違いなく今に繋がっていました。

「これは大事なことだ」と真剣に受け止めてくださった方々、
一人でどうにもならないことに力を貸していただいた方々。
本当に感謝しています。

制約資源はどこにあるか

そういった活動を実践しながら、
そもそも宮古の窮状を作った原因はどこにあるか、と考えていました。

銀行がお金を貸してくれないから…これではない。
生産設備が高いから…でもない。
原材料や電気代が上がっているから…それが解消したら万事解決か?
そこでもなさそう。

『気候変動』

そこに行き着きました。
そこかぁ…それと向き合っていかないといけないんだと気づいても、
どうしたら良いのか…全く分かりませんでした。
テーマが壮大すぎる。。。

繋がるご縁

そんなタイミングで声を掛けていただきました。
24年前から環境事業を行っている企業で、新たにGX事業部を立ち上げたい。
その立上げをやってみないか、と。

「ハイ」か「yes」か「やります」か「喜んで」…
市民劇の時とはちょっと違う重さのある決断でした。

人生は選択の連続。
そうは言っても恐れや不安を乗り越えるのには少しだけ時間を要しました。

whyの力を借りる

フツーに考えたらover 40の転職はなかなかリスクのあることと思います。
まして前職に特段大きな不満を持っていたワケでもなく。
それまでの経験値と活動の基盤も全部手離して新天地に行く。
黙ってそのまま居れば定時昇給。
一体何処をどうやったらそんな決断になるの?
みんなに不思議がられました。「勿体ない」って😅

葛藤はしました。
やはり怖いものは怖いです。

それを乗り越えさせてくれたのは「目的軸」…whyでした。
【TED】優れたリーダーはどうやって行動を促すか/サイモン・シネック (日本語字幕) (youtube.com)

私の目的軸の在り処は先述の、
「小さな街づくり」
「一緒に居たい人と一緒に居られるように」

仮にの話ですが、
人生最期の日を迎えた時、
「生き切った」と思って逝ける選択はどちらか。
そう考えました。

大切な仲間と生きたい

元の道が歩きやすい道だったかと言うとそれも違いますが、
ここで踏み出しておけばよかったと後悔はしたくない、と。

だからアレなんです。
生態系を守りたい~とか、
緑の地球を次世代に残す~とか、
そんな立派な話ではなく、
びっくりするくらい個人的な理由が俺を駆り立てています。

あとは、
インボイスの時のような事象が2~4年後に起きるであろうことを、
まだ知っている経営者が少ないということ。
だから今、伝えないと。
色々な意味で「今」がベストなタイミングと判断しました。

最後の最後は、
失うものが無いという謎の強みがあったことは大きかったです。
これは参考にならないかもしれませんが…笑

でもこれで万一失敗したとしても、死ぬわけではありません。
そこにはチャレンジしたという事実が残るだけ。
チャレンジできる人間なのだと、証明した事実が残るだけ。

あとは本気でやれるか。
没頭できるか。
自分に打ち克てるか。

実践の決意。すでに勝利。

まだその途上も途上、駆け出したばかりの段階で、
偉そうに書けるようなことなどは実は何もないのですが、
もし少し前の俺と同じように、
今チャレンジしたいことがあるけど、
一歩踏み出すことを躊躇っている方がいらしたら、

是非、ご自身のwhy(目的軸)に立ち返ってみてほしいなと思います。

そこから一貫性のあるビジョンが描けて、
粗くても目標設定と計画化が出来るようならば、
それはすでに達成できています。

良い人生が選択できますように🍀

事実と向き合う

「気候変動なんて嘘っぱちだよ」
そんな声もあります。

そうかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
専門家ではない俺には目に見えることしか分かりません。

でも事実ベースの一例で言えば、
かつてあった藻場が失われ、
そこを住処・産卵場所としていた魚が居なくなり、
漁業の街から一つまた一つと生業の火が消えて行っています。

この事実とどう向き合うか。
俺は、それだけなんです。
気候変動論争は頭の良い方にお任せします。

脱炭素先行地域にて

活動の拠点を仙台と東松島に移したのは、
脱炭素先行地域の中に於いて、
具体的に環境事業を背景としている企業内から情報発信して、
一緒に「事実」と向き合える仲間を増やしていきたい。
そう考えたからです。

折しも、宮古も脱炭素先行地域。

他の街の取組も気になる…

ゼロカーボンパーク認定のニュースにはビックリしたし、
環境省の「ゼロカーボンパーク」に宮古市が県内初登録へ | 岩手日報 IWATE NIPPO (iwate-np.co.jp)

廃校活用にチャレンジする市議が居たり、
地域おこし協力隊を任期到来前に卒業して漁業に挑戦する女性が居たり、

やっぱ宮古、すごいなと感じています。
そしてやりたいことの方向性が同じだということが嬉しかったり。

どんな形であれ、
またいつか何処かで宮古とは運命が重なり合うかもしれませんね。

夢と大風呂敷を広げる

これからの自分、
一体何処に行ってしまうんだろう。と考えることがあります。
どこに着地するのか。
びっくりするくらい風任せの旅。

何と言うこともないサラリーマン。
なのに謎の動き方していて、良く分からんと他人には言われています。
それって最高の誉め言葉。

これからの人生は、
恩返しと恩送りに生きて行けたら良いなと思っています。
そんな生き方を愉しんで行けたら、最高ですね。


今回も随分話がアッチコッチ行ったね。
まぁ良いじゃん。

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