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黄昏鰤 第14話

23日目 「三度目!鉄柵門はもういやです」

 目の前が赤い。赤い中に人影が映る。頭の形がいびつだ。はっと気がつくと、それはおれの影だった。見下ろす足元の赤に映り込んでいる。まだ乾いていない血だまりの中、おれは佇んでいた。黄昏の光の中でも、それは鮮やかな赤だった。
 体を軽く調べてみたが、どこにも異常はない。血もついていない。おれの血でないのなら、誰のだろう。血だまりから出ると、べちゃりと足跡が赤く付いた。その他に足跡は見当たらない。血の主はどこへ行ったのだろう。浮かんだ疑問は、特に引っかかりもせず頭を流れいった。
 体を調べたついでに気がついたのだが、首に縄の輪がかかったままだ。やはり取るのは億劫なので放っておいた。赤い足跡を路地の真ん中に描いて、進む。唐突に、「体に異常はない」と判断した自分に驚愕した。かつての自分と比べれば異常しかないのに、ずいぶん慣れたものだ。
 歩くほど、足跡は少しずつ薄くなってゆく。前にも同じようなことがあったなあ、とぼんやり思った。

 白昼夢を見た。長い登り坂の先に、人影が見える。こっちに手を振っている。
 おれはなぜか、「あの黒猫だ」と思った。黒猫の人だ。おかしな話だが、夢の中のおれは単純に嬉しかった。手を振る影のほうへ歩み寄る。顔はわからない。男か女かも判然としない。影は手を振る。
 坂を登りきると、影はいなくなっていた。見回して探すと、少し離れた曲がり角にいる。そこまで追いつくと、また離れた地点にいる。おれは追いかけた。道の先に、ポストの傍に、屋根の上に、黒猫の人は行ってしまう。でも、おれを待っていてくれるのだ。だからおれは追いかけた。
 追いかけて、追いかけて、追いついた。おれは影に笑いかける。影も笑った。これからは一緒に行こうと、手を取って歩き出した。
 そして、前触れもなく夢は醒めた。おれはひとりで歩き回っていただけだ。気がつけば見覚えのある役場の敷地で、またしても門に押し潰されて死んだ。


24日目 「冷凍!近う寄れ、黒い影」

 水面を読んでいた。字が書いてあるような気がしたのだ。水音を聴いていた。話しているような気がしたのだ。
 「────」おれの名前を見つけた気がして目を見開いたら、単なる川の景色だった。黄昏がきらきらひかる。目を閉じても焼き付いていた。
 水から足を引き上げる。足首までの浅瀬に立っていて、靴がぐっしょり濡れていた。ズボンも裾から水を吸い上げて、脛まで濃淡ができている。なんでこんなところに、いつから。そんな問いも、もはや何度目か。ざぶ、ざぶ、と、岸へ上がった。
 靴から水が浸み出して、歩くたびに音が鳴る。気持ちが悪いが、いずれ乾くだろう。さて、……誰を探すんだったか。黒い……黒い、なんだっただろうか。歩いているうちに、思い出せるといいな。

 土手を登りきったところで、なにやら騒々しい男たちに囲まれた。さすまたや棒で武装して、ヘルメットを被り、顔の大部分を布で覆っている。

「片角の怪物。連絡は回っているな。冷酷、残忍、見つけ次第殺すこと」

「応」

「応」

 口々に叫び合う。
 おれは逃げることも戦うことも忘れてぼんやりしていた。
(おれの探しているのはこいつらじゃないな)
 そうしているうちに、叩き伏せられ、両肩を外されて、鎖で縛り上げられてしまった。さすがに痛くて暴れたが、どうにもならなかった。
 彼らはおれを担ぎ上げ、近くにあった貯水池へ放り込んだ。思わず肺の空気を吐き出してしまう。
 てっきりまた殴り殺されると思っていたが、沈められるとは。焼け死ぬのは思い入れが深いが、水はそういえば初めてだ。これもこれで、死ぬほど苦しい。意識はすぐに遠のいた。

 ……咳き込んで、水を吐いた。意識がほんのわずか戻る。消えていた右目の火が、また灯るのを感じた。おれは繋げられた鎖に引きずられているようだ。

「あのまま沈めとけば」

「水死しない奴もいるからな」

 そう話す声が鎖の先から聞こえる。扉の開くような、少し妙な音がした。うっすら目を開けて確認すると、それは銀色の大きな冷凍庫だった。
 中に放り込まれる。冷たい底が直に顔に当たり、熱を奪っていく。稼動音がうなる。扉が閉められる。

「死ね」

 最後にそう言い残され、そして、まっくらになった。

 もぞもぞと寝返りを打って仰向けになる。石肌は底に貼りつくことはなかった。だが、体に残る池の水がどんどん冷えて、次第にばきばきと凍っていくのがわかる。息を吐こうとした。口がうまく開かない。
 まっくらな中、凍っていく目で黒い影を探した。すぐそこにいるような気がした。
 ここは寒いし、そばに来てよ。声は発せなかった。黒い影はおれを包み込み、そして何も感じなくなった。


25日目 「瀕死!第6の異形と夕顔の人」

 遠くでまた、何かの崩れる音がした。
 その方向を見てみたが、視界がひどくぼやけていて、動いたものがあったかわからない。目をこすってみても、視界はおかしいままだ。
 遠くのものに焦点が合わない。自分の周りはなんとか見えるので、今いるのが坂の上だということはわかった。坂の下の景色は橙と黒の滲みにしか見えなかった。目の前に持ってきた手のひらは見える。
 と、腕が前と違うことに気がついた。石のように硬くまだらだった肌が、青白い雪のようになっている。うっすらと白い冷気を纏っていて、触るまでもなく冷たい。生える棘は氷のかけらだ。
 しばらく見つめてから、だらりと手を下ろした。ふうっと長く吐いた息は、白くきらきらと輝く。右目からこぼれる火花も、どうやら青白く変わっている。姿形が変わるのは久々だ。しかし、目が悪くなったのは、つらいな。

 目の前に、どこからともなくシャボン玉が飛んできた。七色に光を散らすそれは、音もなく爆ぜて消えた。周りを見渡しても他のシャボンは見当たらない。飛んでいたけれど見えなかっただけかもしれない。また白く溜め息をつく。
 そういえば、この坂は、あの黒猫の人を追いかけて通ったところじゃないか? そう思って振り返るとその黒い影がいた。
 なんだ、いたんだ。じゃあ一緒に行こう。おれと影はふたり並んで坂を下りていった。

 坂を下って、そのまま大きな道を道なりに進んでいくと、交差点の角にうずくまる生き物がいた。こちらに気がついて立ち上がる。ずいぶんのっぽだ。あちこち擦り切れた黒いスーツを着ているが、裾から伸びる余った手足が丈の倍以上ある。そして、人間の四肢ではなかった。

「君。なあ、頼む、君」

 若い男の声で話しかけられた。スーツの襟からは、夕顔の花と蔦がこぼれている。頭は無い。

「君、僕に斃されてくれないか、頼むよ」

 おれは首をかしげた。隣の影と顔を見合わせる。夕顔の男はおれの肩を掴もうとしたようだが、冷気に気がついてひっこめた。

「この町の司法について僕は廻っていて、つまり、僕と君とエンジンなんだ。ほら」夕顔の男は手をこすりあわせて言う。

「だから、頼む、斃されてくれ。もう、違うんだ!魂が残りあと1つなんだ、頼む、頼むよ…」

 男の夕顔の花がひとつ、見る間にしおれて、地面に落ちた。

 おれはもう一度、隣の影と顔を見合わせた。
 影は首を横に振った。
 そうか、君がそう言うなら、べつにおれはいいよ。

「なあ頼む……」

 おれは男の肩を掴んだ。顔を彼の首に近づけて、息をふうと吐く。夕顔の花に、葉に、霜が降りた。男は一度びくりと跳ねて、くずおれた。
 おれはのしかかってきた彼を抱きとめて、腕の氷の棘を伸ばして刺した。もう一度花に吐息をかける。蔦が折れ、花は砕けた。黒いスーツもまだらに凍る。最後に角で胸を突くと、ぱきぱきと軽い音がして、男は斃れた。
 おれはまた影とともに歩き出した。


26日目 「再々会!ついに打倒、放火少年団」

 黒猫の人と、並んで歩く。本当は手を繋ぎたかったのだが、棘が刺さるといけないと思ってよした。影はどこへ行きたいとも言わないし、おれも行きたいところなんてなかったので、歩きやすい平坦な道をひたすら進んだ。他に人は通らないし、人以外も通らない。

 細い路地を縦に並んで進んでいると、突然ばしゃりと液体が降ってきた。
 ……前にも同じことがあったな。咄嗟に目を閉じたので、今度は飛沫を受けることはなかった。路地を挟む家の屋根から声が降る。

「また会ったな、化け物」あの少年たちだった。

「聞いている、館のやつを殺したんだってな?」

「白衣のバカだ!」別の少年が笑いながら付け加えた。

「ああそう、白衣の。あいつは俺の弟で、前は一緒にいたんだ。だがまあ、偏屈でな。死んだのならばあのバカも治ったかな」少年たちは高い声で笑った。

「まあそんなことはどうでもよい。……お前、前より立派な化け物だな」

 口笛と歓声。

「殺そう!」「殺そう!」

 おれは後ろにいる影を見やった。影は小首を傾げ、苦笑した。おれも続いた。

「何も言うことはないのか? じゃあ死んでくれ! 面白く!」

 マッチの火が降る。

 いくつかの火はおれの服へ落ち、油を吸ったそれは激しく燃え上がった。緋い炎が肌をなめる。少年たちはまたなにごとか歌い、手を鳴らしている。突っ立ったままのおれは火柱になった。歓声が、一層強くなる。
 ……だがおれは斃れなかった。
 頭のあたりを覆う紅蓮が、ごう、と音を立てて吹き飛ばされる。代わりに燃え上がったのは青い火だ。緋い炎を螺旋に食い散らかし、青白い炎が全身に広がる。少年たちはどよめき、うろたえた。おれは天に向かって吼える。声とともに、高く火柱が上がる。黄昏が青く照らされた。

「逃げろ!」「逃げろ逃げろ!」

 屋根をどたどた踏み鳴らし、時折踏み外し、少年たちはあっという間に逃げていった。
 それを確認して、おれはふうと息を吐く。白い霞が舞う。途端、青い火はぱっと消えた。右目の穴にだけ、静かに渦巻く。

 燃えて死ぬと火に強くなる、と白衣の少年は言っていたが、彼を嘲った少年たちは知らなかったのだろうか。炎に巻かれた肌には傷一つ無く、溶けた氷の棘はぱきぱきとまた生えた。
 それにしても、少年たちの驚いたことといったら。おどかしが成功して、おれはずいぶん上機嫌だった。

「……ん?」

 いや待て、これはまずい。服が全部燃え尽きてしまった。
 慌てて周りを探すが、代わりになる服などあるはずもなく、とりあえず霜と氷で消し炭を集めるなどしてごまかした。
 そういえばいつの間にか、黒猫の人はいなくなっている。……見られなくてよかった。


【魂4/力7/探索1】『獣耳、角、火玉、棘、凍息』

(つづく)

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