黄昏鰤 第32話
64日目 「再来!猪は我々を覚えていた」
「おや?兄さん兄さん、角に耳の兄さんじゃねえか。景気はどうだい?」
小さな公園の前を通りかかったとき、明るい声がした。ベンチに腰掛けた猪が話しかけてきたのだ。丸々とした体格に合わせて仕立てたスーツを着こなす姿には見覚えがあった。
「情報屋の猪さん、お久しぶりです」
「覚えててくれたのかい?嬉しいね、なあ今時間あるかい?またちょいと話を聞かせてくれよ」そう言ってベンチを前足でコツコツと叩く。おれは促されるまま隣に座ろうとしたが、「ありゃ、尻尾が邪魔みたいだな。場所を移すか」
猪に案内されて、町を進む。「なんでもいいから、あったことを話してくれ。町以外のことも是非にな」
要領の悪いおれの話し方でも猪は熱心に聞いてくれた。以前に彼と話をした時からずいぶんと日数が経っていて、目的地である彼のバラック小屋に着いてからも話題は尽きなかった。
「ところで町以外っていうと、病院とか学校とか? それなら行ったことありますが」
「まあ、見りゃわかるな。その情報もありがたいんだが、そんなに新鮮でもないんだな、これが。今のトレンドじゃないんだ」
「へえ。トレンドって?」
「企業秘密」猪は得意げに鼻を鳴らした。
情報料として猪がふるまってくれたのは、今回も温かいオムライスだった。
「いただきます」
おれはなるべくゆっくり味わって食べたつもりだったが、スプーンの往復はどんどん速くなってゆき、またたく間に皿は空になった。腹の中から全身が満たされる心地だった。
猪に深く礼を言い、別れた。去り際に彼は囁くように教えてくれた。
「三日月が笑ってる裏の町だとよ。もし迷い込んだら、戻って話を聞かせてくれな」
65日目 「最凶!やめてくれ、可哀想仮面」
今日の空はいつもより高く感じる。この町はいつでも穏やかに晴れているが、長く歩いているうちにわずかな天候の違いを感じられるようになった。はるか頭上で流れる薄紙のような雲がゆっくりと千切れていった。おれは今日も町を歩いて黒猫を探している。
長い坂道のてっぺんから下を見渡してみる。個性のない家々がずっと広がって、黄昏の空に消えていく。猫は見当たらない。おれは坂を下り、家の海に入っていった。水面のような空がますます遠くなる。なんとなく、動きも圧を受けたように緩慢になる。
黒猫はちっとも見つからないけれど、近頃おれは穏やかだった。町はいつも知らない風景を紙芝居のように見せてくれる。夕暮れの町並みは同じように見えてもこれまた違うものだ。通りかかった家のベランダに小さな鯉のぼりが飾ってあるのが見えた。家は無人だ。
この町の季節はよくわからないが、鯉のぼりの時季ではない気がする。肌に感じる気温は晩夏ほどだ。しかしずっと夕暮れを見ているせいか秋の気分になっている。空の雲も秋に見る形じゃないだろうか。そう思って、下ってきた坂道を振り仰いでみた。
坂の上に白い影がおれを見下ろしていた。
「ア」
見たことがある、と思ったとたん、凄まじい耳鳴りに襲われる。覚えがある。耳を突き破って重機が乗り込んでくるような轟音だ。
透き通る白い影は真横に首を傾げておれを見ている。は、と気が付けば、おれのすぐ目の前にいた。上部についた穴のない真っ白の面がおれを見ている。くいと首を伸ばして近づいてくる。
「可哀想」
おれの視界いっぱいに面が広がり、
「可哀想」
おれは耳鳴りで神経をめちゃくちゃにされて
「可哀想」
白い面の口の部分に真っ暗な穴がぽかりと開き、視界は今度は黒一色になった。
「可哀想に」
【魂13/力12/探索3】『獣耳、角、火玉、竜尾、鬼腕』
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?