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黄昏鰤 第36話

70日目 「水没!帰り道の車」

 黄昏の空を背景に、まばらな黒い線が引かれた、窓枠の絵。ここは打ち捨ててあった乗用車の後部シートだ。
 狭い中に体を横たえると、不思議なほどに心が落ち着いた。小さい頃、走る車内からこうして空を見上げていた思い出が蘇る。黒い電線が寄り添い、交わり、家まで着いてきた。
 今見ている線はちっとも動かないけれど、頭の中で一緒に走ってみた。線が交わって、増えて、減って、電信柱が一定のリズムで窓を拭いて、右に曲がって、左に曲がって、運転席と助手席に座った家族はしゃべっている。おれはこうして寝ていれば、家に着いて、電線は途切れて……。
 考えているうちに、本当に眠ってしまった。ついでに家に帰れたら良かった。
 なにやら大きな音がして目を覚ますと、車外が異様に暗い。扉が開かない。さっきの音は水音だったように思う。思い切り勢いをつけて窓を割ると、ざばざばと水が入ってきた。車ごと、沈んでいるのか。
 割れた窓からなんとか脱出しようとするものの、穴が小さくて出られない。焦って暴れたせいで酸素はどんどん失われていく。やがて冷たい水に体温と力を奪われて、おれはそのまま溺れ死んだ。


71日目 「再々々入院!死者の持つおくすり」

 近くから金切り声が聞こえる。頭の痛みをこらえながら、おれは目を開けた。薄暗く窓のない部屋にいる。首も痛い。椅子に座った姿勢で、無理な首の傾け方をして寝ていたらしい。椅子の座面や手すりは青緑色で、だからというわけでもないのだが、おれはここが例の病院だと察した。
 両手足と胸を椅子に包帯で縛り付けられていたが、黒い右腕で断続的に力を込め続ければしばらくもしないうちに千切れ、拘束を脱することができた。無理に曲げられ背もたれに押し付けられていた竜の尾が解放されて喜ぶ。と、すぐ隣の部屋からまた金切り声がした。
 この不吉な病院に来てしまったら、やることは一つだ。以前会ったあの男を捜す。そして殺してもらう。おれは廊下に気配がないことを確かめて、部屋を出た。

 部屋を出て、右を向いたら、目の前に人がいた。おれは胸が圧縮して爆裂したんじゃないかというほど驚いた。気配はなかったのに!
 看護師の服を着て、蛍光色の錠剤が入った瓶を胸に抱く者がぼんやりと立っている。よく見れば人ではない、体の腐った死体だ。気配が無いわけだ。
 だが、死体がなぜ立っているんだ? なぜ眼球を失った穴でこちらを見つめているんだ? 疑問に思っていると、顎の腐り落ちた口から覗く舌がうねうねと動き、気味の悪い声を発し始めた。

「おォ、おご、おごぉりお」

「ひえッ!?」

 瓶を持った手がゆっくりと動く。瓶を差し出してくる。おれは咄嗟に死体を突き飛ばし、暗い廊下を走って逃げた。瓶の砕けた音が背後で響く。追ってくる気配は無かった。


【魂14/力12/探索3】『獣耳、角、火玉、竜尾、鬼腕』

(つづく)

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